グラン・ブルヴァールを行く  その2

モンマルトルからポワソニエール、ボンヌ・ヌーヴェルへ

モンマルトル大通り

モンマルトル大通りの賑わいは、いくぶん縁日のそれに似ている。出発点だったマドレーヌとはだいぶ異なる、東京で言えば上野浅草、京都で言えば京極新京極。決してファッショナブルとは言えないけれど実質的で、どこか郷愁をそそられる。そうかと思うと、大衆的な店の連らなりに隠れて、本物を伝えてきた老舗がひっそり口を開けていたりする‥‥。

右手にパサージュ・デ・パノラマ、左手にそれと向き合ってパサージュ・ジュフロワのそれぞれの入り口。パノラマの入り口と並んでヴァリエテ座、ジュフロワと並んでグレヴァンの蠟人形館。劇場と蠟人形館とパサージュと‥‥古いパリを体感する道具立ては、すっかりととのっている。あとは想像力だけ。

道行く自動車を馬車に置き換え、人びとのファッションをアレンジすれば、19世紀パリの盛り場にそのままタイムスリップした感覚を楽しめる。不思議に懐かしい。実際に体験したはずもない情景を懐かしく思い起こす。それこそ街を歩く醍醐味だと感じる。

モンマルトル街との交差点で賑わいは頂点を迎え、大通りの名はポワソニエールに。地名表記がややこしいので少し整理しておこう。今歩いている環状の大路ブルヴァール(boulevard)を「大通り」、一般的な道であるリュ(rue)を「街」と表す。モンマルトル、ポワソニエールにはそれぞれその名を持つ大通り、街があるので要注意。

左手にヌーヴォーテ劇場、さらに大通りがボンヌ・ヌーヴェルと名を替えると、ジムナス劇場。オランピア劇場にはじまり、由緒ある多くの劇場がこのブルヴァール沿いにあることをあらためて実感する。そういえば二つの巨大なオペラ座、ガルニエ宮もバスティーユもこのブルヴァールで結ばれていることになる。

映画が生まれ、テレヴィが普及し、それでも現実に生きている生身の人間が舞台に立つ。見る者と見られる者が時と場所を共にする。同じ空気を呼吸する。それはかけがえのない人の営みなのだろう。

やがてサン・ドニ門が見え始める。右側の歩道がテラス状に張り出して、門とその広場の眺望に適する形になっている。ブルヴァールが城壁だった頃ここにあって機能していた市門とまぎらわしいが、現在の大きな門は、その跡地にルイ14世の戦果を讃えるモニュメントとして建設されたもの。象徴性としての門ということになる。

サン・ドニからサン・マルタンへ

サン・ドニ街を渡るとサン・ドニ大通りと名を替える。昔からの街道であるサン・ドニ街は街娼の多いことでも有名、ここ何年かサン・ドニ門あたりは中国系娼婦の溜まり場になっているという。なるほど数名の体格のいい女性たちがショウウィンドウを覗き込んだり、仲間内のお喋りに興じていたりしている。

とりわけ客を引くわけでもなく、何かの合図を送るわけでもない。黒ずくめの服装は彼女たちに伝統的と言えば伝統的なものだが、パリジャンは一般的に黒好みで黒ずくめの連中も多いから、特別どうこういうものでもない。それなのにどうして街娼だと分かるのだろう。

群衆にまぎれながら、浮きあがりもする者。‥‥などととりとめもなく考えているうちに、サン・ドニ門より小ぶりなサン・マルタン門が見えてくる。これもまた城壁が取り払われたのち、ルイ14世の戦勝記念に建てられたもので、二つの門はさしずめセットの趣がある。

サン・マルタン門とルネッサンス劇場

門は、門がそこにあることによって「内」と「外」の領域を指し示す。グラン・ブルヴァール、17世紀半ばまでは厳然とあった壁と門。その境界線の作り出した「内」と「外」の記憶は、今でも街に刻印されているのだろうか。それとも、もはや単なる街なかに立つモニュメントに過ぎないのだろうか。

現在でもこの大通りが区境としてあることは確かだし、ここの外側の街区はフォブールfaubourgと呼ばれ、その呼称の生きていることを考え合わせれば、現在でも境界の観念は少なくとも意識として残っているのではないか。ひとりの通行人にはそのように感じられる。

サン・マルタン門のすぐ脇にはルネッサンス劇場、サン・マルタン劇場と、19世紀ロマン派演劇の勃興と深く結びついた劇場が並ぶ。ユゴーをはじめ、彼をリーダーと仰ぐ赤チョッキの若者たちが闊歩した時代の生き証人たちということになる。

今でも話題作で賑わうこれらの劇場を通り過ぎたあたりから、しかし街は次第に、どこかうらさびれた空気を漂わせ始める。ブルヴァールに面して立ち並ぶ建物は相変わらず堂々たるものだし、並木の街路樹も幾重にもしっかり樹影を舗道に投げている。

街角のヨハン・シュトラウス

それにもかかわらず漂う、このうらさびれた感じはどこに発するのだろう。色褪せたシェードにくすんだショウウィンドウの商店、とっくにつぶれているのに新しい経営者が現れぬのか、見捨てられたままのカフェ、朽ちた落ち葉が小さな渦巻きとなっている事務所の玄関口。

ブルヴァールの風格ある構えにもかかわらず、というよりここはむしろ逆に「だからこそ」とつなげるべきかもしれない。‥‥街路の壮大な枠組み、だからこそ、それは人びとの現在、そのたたずまいのうらさびれた光景を見せつけずにはおかない。情け容赦なく、剝き出しにして。

小さな緑地にヨハン・シュトラウスの胸像が置かれている。豪奢と贅沢を呼吸して、流れるようにかろやかに、感性のおもむくままひたすらかろやかに、華麗な宮廷にワルツを送りつづけた音楽家にこの街路の光景はどのように映っているのだろう。

レピュブリック広場は近い‥‥。

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