パリ東駅からTGVで1時間半ほど、東部国境に接するロレーヌ地方の中心都市メッスへ。行き当たりばったり歩き、写した記録(2021年8月撮影)をご紹介。
モーゼル川とセイユ川の合流する交通の要衝は、古来、文化の交叉点として栄えてきた。起源は3000年前、青銅器時代にさかのぼるという。中世以降、街をまとめあげる中心性として機能してきたカテドラル↑
天井を見上げようとするだけで首が痛くなる。13世紀から16世紀にかけての(改修など含めれば現在にいたる)ゴシック様式建築物。ひとはどうしてこれほど巨大で荘厳な空間を築かずにいられないのか。当時の人口、街の規模、経済社会状況など考えあわせるだけでも。宗教建築を目にするたびとらわれる素朴な疑問ではある↑
カテドラルを望む↑ パリからやってくると、まちの清潔さにまず感心。得体の知れぬ液体で舗道の濡れていることもなければ、ごみくずが地を舞うこともない。
もう一枚、橋のたもとより↑ この近くのレストランで昼食には特大のキッシュ・ロレーヌを地元の白ワインと。発祥地に敬意を表して。
由緒ありげな建物の前を通りかかり、地図を見るとオペラ座であることが判明↑
こちらはドイツ占領時代に建設された教会↑ ロレーヌ地方は1871年普仏戦争でフランスからドイツに割譲され、第一次大戦後1918年にフランス復帰。数奇な運命をになわされてきた。
ドイツ占領時代を代表する建築物といえば、この駅舎↑ 1905年ドイツ皇帝ウィルヘルム2世の命により竣工。
なんとも威圧的な駅舎は軍事拠点であると同時に、統治者の威光を示すものでもあった↑
かつて市を囲む壁にあったドイツ門↑ 地理的にも心理的にもドイツの近さを感じる。
レピュブリック広場周辺には「時間」が降り積もっている↑ 中世タンプル騎士団の堂宇もあれば、紀元4世紀創建という教会も。ということは、布教後間もない頃‥‥となる。
ロレーヌ地方は、香りと甘みの豊かなスモモの一種ミラベルの産地として知られる。ミラベルから作るアルコール度数の高いオ・ド・ヴィはメッスの特産品。かつての宗教建造物、修道院の多さを目にすると、このアルコール飲料を洗練させてきたのは修道僧たちだったに違いない‥‥↑
かつての修道院が裁判所となっている近く、詩人ヴェルレーヌの生家を発見↑
見知らぬはじめての街で、思いがけぬ知己に出会い家に招かれた。そんな気分↑
1844年生まれのヴェルレーヌは、7歳でパリに越すまでここで幸せな少年時代を送ったという↑
窓からの光にくつろぐ。いい読者ではなかったと告白しながら、詩人を想う↑
フランス革命から第二次大戦まで、ロレーヌ地方にはあまたの戦いの記憶が積み重なる。そのほんの一部を呼吸するだけで疲れを覚え、たどり着いたメッスの街。それだけに、ここの空間で息をついた思いはずっと残ることになった↑