サン・ジェルヴェ教会あたり、楡の木の広場から

一本違う道を入り込むとまちはまったく違う表情を見せる。同じ建物の表か裏かでも、まるきり別のたたずまいを持っていて、その落差の鮮やかさにしばしば驚かされる。

パリ市庁舎もその例外ではない。歴史上さまざまな舞台になり、今やすっきり近代的な広がりを見せる表側から裏へまわると、別の空間が目の前に現われる。

破壊と建設の繰り返されたパリは、歴史の長さの割には近代以前の景観を残す場所が限られている。ここ市庁舎裏東側の街区は、そんな「失われた中世」をしのぶに貴重な場所のひとつだ。

シテ島から歴史の始まるパリの、その島外では最古の起源を持つという教区にあるサン・ジェルヴェ教会。17世紀に再建されたファサード前の広場には、一本の楡〔にれ〕の木が植えられている。

教会前、楡の木の広場だ。記録によれば、13世紀にはすでにこの地に楡の木はあったと言う。

教会のミサが終わると人びとは木の許に集まった。そして日々の暮らしのうちになされた相互の貸借関係の精算を行なったとある。人びとの生活を秩序づける契約の履行、「裁き」はこうしてなされていたものらしい。

集落のシンボルであり、人びとの集まる場の目印であるにとどまらず、この楡の木は裁きに立ち会ったことから「公平」とか「正義」を意味するようにもなった。

はるか中世から現代へ、生活共同体の中心である教会前広場に植え継がれてきた樹木。それは「とき」と「ところ」、二つの広がりの交わる場、交点でありつづけてきたのだろう。

三層をなす教会ファサードの堂々たる存在感に比していささか頼りなく感じる樹影ではあるが、現在のものは1935年に植えなおされたものだというから、これはまあ仕方がない。

この教会は17世紀から19世紀まで、クープラン家の人びとが代々オルガン奏者に就任していたことでも知られる。とりわけルイ14世から15世にかけての時代に活躍したフランソワ・クープランは作曲者としても名高い。

一家にちなむオルガンは至宝というが、こればかりは実際に耳にせぬ限り何とも言えない。いつの日か聴いてみたいものだ。オルガンの鳴り響くとき、教会は素晴らしい音楽ホールとなる。ここはまた格別のものであるに違いない。

教会正面に向かい左手から始まるフランソワ・ミロン街へと歩を進める。2番地から14番地にかけて、教会のすぐ脇にあたる建物はルイ15世の時代に建てられたとあるが、その窓枠に目を凝らすと、ここにも楡の木の模様の編み込まれているのが分かる。

建物をまわり込むように右へ曲がるとバール街。ときの降り積もった石畳の小路に入り込むと、歩みをゆるめ周囲を見回さずにはいられない。

楡の木の広場にそそり立つ西側ファサードの、権威的に圧倒されるイメージとは違って、同じ教会でもこちら側は石畳の小路に溶け込んだ柔らかさがある。

グルニエ街と丁字路をなす角には、木組みの剝き出しになったハーフティンバー、階上が地上階よりせり出した建物が残っていて、この景観は数世紀、少なくとも基本的な枠組みを変えていないのだろう。

石畳の道はゆるやかな傾斜をなして、セーヌ河畔へと下る。陽射しが石畳に細かな波立ちを掘り込んでいる。陽炎の立つ遠景に、河岸沿いのカフェテラスが見える。

この小路こそパリでもっとも美しい、そう断言する知人がいる。何事によらず言い切ってしまうことの苦手な身としては追従して断言するのは避けるけれど、美しく印象的な場所のひとつであるとは自信をもって言える。

夏服を着た若者たち、サングラスを掛けた老夫婦に混ざって、修道女の一団が静かに通り過ぎていく。

泉に湧き出る清水を浴びるように「とき」に浸されるのは、どうしてこんなに気持ちがいいのだろう。

はるかな「とき」を感じ取れるとき、ひとははじめて自分の立つポジションを見つめなおせる。それを身体も喜んでいるのだろうか。