さくらんぼの実る頃、151年目のペール・ラシェーズ

パリの5月を呼吸するだけで晴れやかな気持ちになる。じりじり肌を灼く陽射しを受けながら、木陰に入ればひんやり風が吹き抜ける。

だからと言って、どの年の5月も屈託なく晴れやかであったわけではない。151年前1871年の5月もその一つとして特筆される。

皇帝ナポレオン3世の引き起こしたプロシア(ドイツ)との戦争は、国境地帯の戦いで呆気なく敗れた皇帝が捕虜となって帝政が瓦解すると、ブルジョア層を主体に保守的な農民の支持を受けた政府が成立、プロシアとの和平を急ぐ。

アルザス、ロレーヌ地方の割譲はじめ屈辱的な「講和」内容に、屈服を拒否するパリ民衆は決起してパリ市自治政権を樹立。これがパリ・コミューヌで、フランス国家対パリ市民政府は内戦状態に入る。

パリ市民3万人が命を落としたと言われる「血の週間」(21日~28日)。プロシア軍包囲下にあって内戦は最終局面を迎え、最後の凄絶な大舞台となったのは、パリ東部の丘陵に位置するペール・ラシェーズの墓園だった。

20区区役所のあるガンベッタの広場から、ペール・ラシェーズ大通りを5分も歩けば墓園の門に行き着く。門を入ったらシルキュレールと名付けられた道を左へ。壁沿いに伸びる道を道なりに進む。

木洩れ陽が優しく、乾いた風は心地いい。小鳥たちの饒舌なお喋りが耳に入ってくる。遺族や関係者ばかりではない、作家、詩人、芸術家、科学者、政治家、思想家、ここに眠るお目当ての墓標を目指して散歩する人影は絶えない。

道が右側へと大きく曲がり込もうとするところ、墓園の南東角付近の壁に「コミューヌの壁」とプレートが貼られている。壁の前には地元パリ20区議会からはじめ、多くの花束が捧げられていた(5月28日)。

繰り広げられた白兵戦で数多く犠牲者の出たのは無論、捕らえられた147名のコミューヌ兵は壁に並べられ、問答無用で銃殺されたという。外部に向かう敵意より内部に向かう憎悪は、しばしば始末に負えぬ大きさを見せつける。それを忘れぬための「場」だ。

この壁と向き合う場所に、コミューヌに参加した3名を見つける。もっとも端で目立たぬ墓石はルフランセ。血の週間を戦い抜き、スイスへ亡命。1880年の恩赦で帰国後も、コミューヌの誠実な証言者となった。

胸像の立っているのはポーランド人ヴォロブレヴスキー。先頭に立って戦いの指揮を取り尊敬を集めたという逸話は、国籍を問わぬコミューヌの性格を物語る。隣のクレマンは、今に歌い継がれるシャンソン「さくらんぼの実る頃」の作詞者。この唄には斃れた人びとへの哀惜が込められている。

ときおりひとが訪れ、立ち止まり、壁に見入り、想いを馳せ、語り合う。風景の穏やかさと、その光景の奥に広がる歴史の凄絶さ。ふたつの景色の間で揺れながら、しばし立ち尽くす。

墓園を出たらガンベッタ大通りを、メニルモンタン大通り方向へ向かう。墓園の外壁と大通りに挟まれた細長い緑地は起伏があって、思いがけぬ樹齢を感じさせる大木が生えていたりする。

遊歩道をほぼ降り切ったあたりに、コミューヌのレリーフ。記念して、という言葉ではよそよそし過ぎる、もっとなまなましいコミューヌの証人とでも呼ぶのがふさわしいレリーフだ。

1909年と刻まれているから、40年近い歳月を経てポール・モロー=ヴォーティエという彫刻家の手で制作されたものであるにかかわらず。

真ん中には裾の垂れた衣裳に身を包んだ若い女性が、今まさに銃弾を受けたというように両手を大きく広げている。

彼女はコミューヌそのものだろうか(コミューヌは女性名詞)。女性の周囲の壁からは、共に戦い斃された人びとの顔が浮き出てきている‥‥。

レリーフの刻まれている石組みには147名の兵士たちが151年前に並ばされた壁、そのときの壁の石が使われているという。墓所の壁を現在のものに作りかえるため解体し運び出されたものの一部を保管、積み直したのだと。

石に刻印された無数の穴は、そのときの銃痕だろうか。‥‥なにも説明するものはない。それでも彫刻家の力なのか、石の発する力なのか、見ているだけで足のすくみそうになる力を放っていることだけは確かだ。

われらが来たる世に求むもの われらが来たる世に望むもの それは正しき裁き。 報復にはあらず

左下にはこう刻まれ、ヴィクトル・ユゴーの名がある。

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