ジョルジュ・シムノン「猫」:物語の場を歩く

11月、陽の落ちたパリの午後5時は長い夜の始まり。向かいの工事現場の作業時間も終わり、やっと静けさが戻ってきた。夕食前のひととき。居間の暖炉を前にふたつの肱掛椅子で老夫婦はくつろいでいるように見える。

こんなシーンから始まる、シムノンの作品世界を味わってみることにしよう。

妻は編み物に没頭、夫は居眠り‥‥しているふり。実は、互いがそれぞれの相手の一挙手一投足、どんなわずかな動きでも見過ごすまいと見張りあっている。おもむろに夫はメモ用紙に何か書き付けると、小さく畳んで妻に投げつける。

たっぷり時間はあった。

しばらく気づかずにいて、たまたま手にした紙片を暖炉に投げ込む前に一応確認しておくだけ、そんなさりげなさを装って妻は紙片をのばして目を走らせる。そこにはひとこと「猫」と書かれていた。

何度同じことが繰り返されただろう。

まるで何も見なかったように、じっと暖炉の火で身体をあたためているかの時間を置いてから妻は立ち上がり、鳥籠の方向に向かう。止まり木で動かぬ色とりどりの羽をした鸚鵡は、剝製だった。

互いに言葉を交わし合うことさえなくなった夫妻が、このゲームを始めてすでに4年。それぞれの伴侶に先立たれ60代半ばで再婚したふたりにとって、結婚生活の半分はこのゲームの日々という勘定になる。

‥‥それでなくとも日照時間の短い季節は、鈍色〔にびいろ〕の雲が空を覆い通り雨も多い。メトロから降りたサン・ジャック広場は、枯れ葉の舞う、寒々とした広がりを見せている。この小説の時代、1960年代にはさらに閑散とした光景だったかもしれない。

広場に接するように、かつて妻の通っていた教会があり、老夫妻の行動半径はフォーブール・サン・ジャック街からポール・ロワイヤル大通りを越え、「フォーブール」が取れてサン・ジャック街と名を替えるあたりまで。

ふたりの暮らす妻の持ち家は、ビスケット製造業者として成功した祖父がサンテ刑務所とコシャン病院の間にかなり広い土地を手にし、そこに建てられた戸建ての住宅だった。

とは言え会社経営に失敗した父親が大半の土地を手放したから、家の周囲のかつての地所に新しい大きな建物の建築が始まっている。夫婦は工事の騒音に取り囲まれた遺物のような家で暮らしている。

パリ再開発の槌音の聞こえてくる時代の転換期。それを背景に置くとき、物語はさらに深みを増す。彼らの暮らしたあたりは、今やすっかり様変わりしてしまった光景として目の前にひろがる。

パリのお嬢様育ちの妻に対して、夫は地方出身、夜学で資格を取得し市役所道路局に勤務していた叩き上げで、出身環境の相違もふたりの生活に影を落としていた。いまさら階級差と呼べるほどのものではないとしても。

夫の連れてきた猫はどうしても妻になつかなかった。妻の飼っていた鸚鵡は夫への警戒をゆるめなかった。妻の仕掛けたねずみ駆除用のヒ素で猫は息絶え、金切り声をあげる鸚鵡に腹を立てた夫は、鳥籠に手を突っ込むと何本かの羽根を毟り取った。

口を利くこともなくなり、家事はいつしか分担され、それぞれがそれぞれ鍵を掛けて保存した食品を自分で調理しては食べる。毎朝互いを見て見ぬふりで買い物へ出掛ける、そのくせ付かず離れずの距離で互いの姿と買い上げる品を確かめ合いながら。

夫は一度逃げ出したことがある。昔馴染みの女がフィヤンティーヌ街でやっているカフェに転がりこんだのだ。「あんたたちは新婚夫婦と同じくらいおたがいを必要としてるのよ」、見透かしたように女は言った。

サン・ジャック街の商店の並ぶ先を右に折れる通りがフィヤンティーヌ街で、ここはもうカルティエ・ラタンの一角と言った方が分かりやすい。ゲイ・リュサック街と合流したところには高等師範学校の建物が見える。

このあたりも区画整理がなされたのだろう。女ひとりでやっているようなカフェ、一杯飲み屋のような店のある街ではなくなっている。

作品世界に登場する街を歩くと、このわずかな範囲だけでも旧天文台とかバロック建築様式の教会として名高いヴァル・ド・グラースがいやでも目に入ってくる。

ところが、そういった記述はこの小説中には一切ない。物の見事と言いたいほど、具体的な地名を記しながらその場にまつわる描写や説明はなされない。欠落している。

だから地名は単なる呼称でしかないところにこの作品は成立しているか、と言えばそうではない。街は老夫婦を包み込んで、変わりゆく失われゆく現実を指し示す。

刑務所と公立大病院近く、都心部とは距離があったから残っていた戸建て住宅の並ぶ住宅街は、姿を変えようとしている。そんな街を舞台に、これもまた窮極の愛の物語、行き場のない老いの物語が展開する。

メグレ警視のシリーズで知られるジョルジュ・シムノンは、いわゆるミステリー小説以外にも人間の心理の襞を描き込んだ傑作をいくつも残している。読まれぬまま忘れられるのはあまりに惜しい作家のひとりだ。