ふるさとの訛りなつかし‥‥啄木の歌ではないけれど、地方から都会に出てきて降り立つ駅、ふるさとと都会をつなぐ街は格別の想いを搔き立てる。
モンパルナス駅近くエドガー・キネの広場あたり、クレープリーの軒を並べる光景もそんな想いの結晶なのだろう。この駅から出る鉄道は、まさにブルターニュ地方につながっている。
ちょっとお洒落なおやつとして知名度抜群のクレープは、もともとブルターニュ郷土の味。クレープリーで供されるのは主皿になるガレット、デザートのクレープ、そして飲み物として発泡性林檎酒シードル、地ビールが主体になる。
クレープは小麦粉を溶いて作るのに対し、ガレットは普通、蕎麦粉を用いる。蕎麦と聞けば放っておけない。ワサビをのせ付け汁で濡らしてするっといただく蕎麦切りとは対照的なアプローチ、料理法に好奇心を刺激される。
それでもしょせんは軽食との思いのあったことを告白する。どこの店で食べようとさして変わりはないだろうとの思い込みも含めて。‥‥軽率さを恥じる。本文はしたがって、ささやかな回心(!)の記録でもある。
回心は年に一度や二度、気分転換を兼ねて食べている程度で訪れはしなかった。ブルターニュはカンペールの街に一週間あまり滞在し、毎日昼か夜の一度はクレープリーに腰を落ち着ける、その「修行」を通じてやってきた。
モンパルナス駅から4時間、旅の案内書によれば「ブルターニュの歴史と伝統の詰まった街」カンペールは、見上げるだけでめまいを覚えるほどの高さを有する尖塔で知られるカテドラルを中心に、中世風の家並みが立ち並ぶ。
カテドラルの少し北、観光案内所を通り過ぎたサレ街に入り込むと、この通りにはひときわ多くクレープリーが立ち並び、オ・ブール広場、「バターで」なんて意味の広場まであるではないか。

サレは「塩味の」を思い浮かばせるから(残念ながら綴りは違う)バターと塩、名前の本当の由来は知らないが、本場の街の中心、ガレット総本山の本堂に匹敵する聖地と呼びたいくらいだ。‥‥実際、回心はこの街角の一軒で起こった。
店の中央に大きなプレートが設えられ、年季の入った男女ふたりがその前で焼く。思わず年季の入ったと形容したのは無駄な動きが一切なく、その立ち姿は安定していて両腕の肘から先のみをリズミカルに動かしているからだ。
女性はクレープ、男性はガレットを担当。充分に熱せられたプレートにたっぷりのバターを置き、蕎麦粉を溶いて(水以外に何が加わっているのかは企業秘密というやつだろう)寝かせたもの(女房に言わせると少し醱酵させているというが、確証は何もない)を一気に流してバターと共にのばし広げる。
薄く広がるとふつふつ泡立ってきて、細かな気泡がぷつぷつはぜ始める。これがレース模様の網の目のような出来栄えと食感につながる。液状だったものの水分が飛び少し白っぽい表情を帯びてきたとみるや、そこにすかさず具を載せる。
具材は奥の厨房で用意されてきたもので、中央部に余さず載せると長いナイフのような器具をプレート上に走らせ、端から剝ぐように掬い取って具の上に折りこみ、形をととのえていく。
プレートに接していた面はぱりぱりにこんがり焼け、具に接する側はあくまで柔らかく‥‥、ガレットの完成だ。
このとき注文していたのはホタテのソテーで、ガレットのかりかりした歯触りと舌触り、そのくせ柔らかにしっとり鼻に抜ける香りと、レアな火加減の貝柱はほくほくジューシー。見事なハーモニーはしっかり存在感を示しながら、あくまで軽やかさを失わなかった。
これが回心だった。あまりに感激したので翌日の昼も同じ店を訪れ、今度は定番中の定番であるコンプレ、ハムとチーズと目玉焼きのものを注文。短期の観光客が連日顔を出したと分かると、焼き手のいかついムッシュもサーヴィスの女の子も投げかけてくる微笑みが変わる。
同じ夏ブレストのまことさんからお招きをいただき、再びガレットの醍醐味を味わうことになる。西側へぐいと伸びて突き出したブルターニュ半島の尖端に位置するル・コンケ。かつては風の強さばかりが気になる海辺の寒村だったというが、今ではちょっとしたリゾートだ。
バスのターミナルから港の方へ向かうメインストリートにあるクレープリーは外のベンチで順番を待つほどの人気で、ガレットにはブルターニュ名物アンドゥイユを選ぶ。
アンドゥイユは豚の大腸を何枚(何本?)も重ね、切り口が年輪のように見える燻製風味のソーセージ。腸詰めだから外皮は当然腸で中身も同じ腸、腸のバームクーヘンのような太めのソーセージだ。
この付け合わせに皿に添えられていたのが玉ねぎのソテー。甘みの口に広がる美味しさで、アンドゥイユのガレットを引き立てる。これまたブルターニュ特産の玉ねぎなのだと知る。以下はまことさんに教えてもらったこと。
同じくブルターニュ、フィニステールでもイギリス海峡に面した港町ロスコフ、17世紀にここの修道院の僧がポルトガルから取り寄せ栽培されたのが起源。その旨みが評判を呼び、季節には海峡を越えてイギリスにまで行商人が出向いたのだとか。
頰張り味わいながら現に食しているものの背景、そこに広がる文化や歴史を思い描く。個人的な思い出や体験の重なり合ってくることもある、お喋りがさらなるお喋りを引き出してくるときもある。
発見と広がり。「回心」のもたらす喜びは大きい。