人びとが「とき」と共に織りなしてきた「まち」を絵として眺めていると、ひろがる「そら」が気になってくる。
パリの空。「そら」のアルバムをひろげてみる。
↑テュイルリー公園とルーヴル宮の境目あたり、ピラミッド広場の南。強い陽射しによって刻印された、建物群の陰影と「そら」の対比に圧倒される。2019年8月。
↑ほとんど同じ位置で撮ったもの。2019年10月。曇るだけでずいぶん表情は変わる。ここは1871年コミューヌの内乱で焼けたテュイルリー宮のあったところ。この宮殿と共に「王」や「皇帝」の時代は終わりを告げた。
↑トゥルネル橋からシテ島を望む。2018年4月。ノートルダム大聖堂火災のちょうど一年前、当時ここではスケッチブックをひろげる多くの人びとを目にした。
↑シテ島よりポンデザール(芸術橋)方面を。セーヌと「そら」のパリでの出会い。川のさざ波にこたえる雲の表情の豊かさに見惚れる。2017年8月。
↑マニフェスタシオンのあった日。バスティーユ広場2017年9月。バスティーユと民衆と「そら」と。歴史を紡いできた原動力の一端に触れる。
↑冬の昼下がり。サン・ジャック街、エコール街との交叉点から。右手ソルボンヌ、左手コレージュ・ド・フランス。2016年1月。高く上がらぬ陽は斜めから突き刺さる。
↑ベルヴィル公園にて。2018年8月。パリを見渡すスポットはいくつもあり、それぞれの特徴、それぞれの味わいを持つ。ここからのパリは奥行き深く、無数の物語を孕んでは横たわる巨大な女神を思わせる。
↑ヴィクトワール広場2019年11月。パリとは相性の悪い太陽王・ルイ14世の騎馬像の立つ円形広場。騎馬像と建物のコントラストの見事さも、背景の「そら」あってこそ。晩秋の光の中で。
↑ボーヴォー広場、フォーブール・サントノレ街。旗の立つ金属の門の奥は内務省。この空の表情は何を意味するのか解釈したくなる、解釈など出来ようはずがなくとも。2020年9月。コロナ禍、感染の波と波の合間に。
↑ヴィレット、グランド・ホールの前。かつて巨大な屠殺場だった建物は、多目的文化施設に生まれ変わった。この日はナポレオン没後200年記念のエクスポジシオンが開かれていた。2021年8月。