
3月18日にはモンマルトルの丘の上、かつてのロジエ街、現在のシュヴァリエ・ドゥ・ラ・バール街を訪れようと予定していた。150年前のパリ、その光景に想いを込めることを当面のテーマとしている以上。
しかし当日天候すぐれず、風邪気味、COVID−19は変異株の出現で第三波襲来、ここは慎重を期すことにした。これぞまことに日和見爺い、野次馬オヤジからさえ後退、転落を意味する。笑うしかない。
モンマルトルの丘には幾度となくのぼった。サクレクール大寺院の裏手にあたるシュヴァリエ・ドゥ・ラ・バール街を往復したのも一度や二度ではない。そのくせ気づかずにいた。イストワール・ドゥ・パリの碑があって、こここそその場だった、と特定できたときの喜びは忘れられない。その喜びを想い起こしつつ引き籠もることにする。
1871年3月18日未明、ティエール政府の正規軍はパリ市内各所の国民軍大砲保管所を一斉に急襲する。プロシア=ドイツ帝国との戦争の終結、揺るぎない「和平」を急ぐティエールにとって、なんと言っても邪魔なのはパリの非和平派、抗戦派民衆だった。
志願兵からなる国民軍、抗戦意識の高いその主流勢力と民衆が結託して、パリを包囲するプロシア軍に銃口を向けている。この大砲を回収、抗戦派の手から奪い取らねばならない。国民軍を無力化し、一気に武装解除させてしまおう。それが狙いだった。
しかし、そうそううまく事が運ぶわけもない。モンマルトル。それが始まりだった。

丘の上の陣地から、住民の寝静まった頃合を見計らい大砲を引いて降りようとした政府軍の動きが察知されると、太鼓が打ち鳴らされた。夜明け前の暗さの中で轟く音。
飛び起きた住民は、着の身着のまま家から走り出る。血相を変えたおやじ、寝起きの髪振り乱したおかみさんから、洟水たらした子どもにいたるまで。その後にもっそり起きだした老人から犬たちまで。
包囲下のパリは深刻な物資不足で、凍てつく寒さと飢えに耐えてきた住民は衝き動かされたように街へ繰り出し、「市民の大砲」を奪い取ろうとする軍隊を取り囲む。
家族ぐるみ街ぐるみ民衆が集い、隘れるさまは圧巻だっただろう。丘の下のブルヴァールから宅地化の波が押し寄せていたとはいえ、丘の上はまだまだ村里の趣を残していた。市街地と村里の入り組んだ斜面、そこにどこから湧き出てきたのかと思えるほどの群衆が出現する。
人びとの口から「共和国万歳!」の叫びが起こるや、ここで化学反応が起こる、はじめはわずかにやがて雪崩〔なだれ〕となって。
政府正規軍の兵士のうちから叫びに応え、民衆側に加わる者が現れる。無言のまま隊列を解かぬ兵士たちも、次第に尉官クラスに至るまで。遂には銃床を上に戦闘拒否の姿勢を示す。‥‥となれば、指揮する将軍は孤立し、民衆の手に落ちる。
そのときの熱狂を思い描いてみる。‥‥歴史的な場面に自分自身が当事者として「いる」輝かしい一瞬、その只中に身を置いていたのだと幾度も想い起こし、語り継がれていくことになるだろう場面。
劇的なシーンはさらなる劇的な展開を求め、呼び込み、劇的なるものを完成させるとでも解釈せずにはいられない。
捕らえた将軍の尋問をしているところに、もうひとり白髭の男が連行されてくる。クリシー大通りで民衆に混じり、じっと様子をうかがっていた平服姿の男は見咎められ飽くまでシラを切るが、1848年の民衆蜂起の際にも弾圧と虐殺の先頭に立った「民衆の敵」、将軍クレマン・トマであると見破られたのだった。
こうなると民衆の怒りに歯止めはきかない。街区や国民軍の指導的立場にある者、知識人など冷静な者が説得を試みるほど興奮は募り、ついには将軍ふたりを引きずり出すと銃弾の餌食にしてしまう。
それが現在のシュヴァリエ・ドゥ・ラ・バール街34番地。パリ市主催のコミューヌ150年記念式典は、COVID−19の脅威のもと、入場者を制限して近くの小公園で実施されたと言う。
コミューヌをどう評価するか。全体像について、いまだにパリ市として統一見解を出せずにいるとも聞く。‥‥それはそうだろう。あまりに混沌としていて、多義的だから。
むりやり見解を統一させることもないのではないか、統一させるにはあまりに豊かで、矛盾に満ちた要素が盛り込まれている。大きな文脈の中でも、それぞれの事象に添っても。
民衆による政府軍将軍の処刑、この事実も重い。自然発生的な民衆はしばしば「過剰な」反応、行動を取る。その現実は現実として見据え、事件の報に呼応してパリの街の辻々で市民は蜂起する、このダイナミスムをも同時に直視する必要がある。
抑え込まれていた力の爆発。堰き止められていた流れが合流し奔流となって押し寄せる。混乱をきたした政府軍は反撃の態勢を取ることさえできない。
予期せぬ事態の推移にあわてたのはティエールそのひと、取るものも取りあえずパリから脱出、まずはヴェルサイユに落ち着いて再起を図ることを即座に決める。
73歳の政治家の決断力と対応の速さに舌を巻く、と同時に七月王政期に宰相を務めるなどキャリアに富んだ「古ダヌキ」をこれほどまでに動かした恐怖、パリの民衆の底力をまざまざと思い知らされる。
権力に空白の生まれた首府。一面の雲の真ん中に、突き抜けるように一点の青空。登場すべき主人公を求め人びとの視線の集まる舞台。それは、パリ・コミューヌの始まりの日だった。