いかにパリに疎〔うと〕くとも、シャンゼリゼの名を聞いたことのないひとは少ないだろう。抜群の知名度を誇る大通りは凱旋門とコンコルド広場をつなぎ、世界に向けての発信力と風格を持ち合わせている。
ただし有名ブランドでのショッピングにでも興味がなければ、これほど味けない場所も珍らしい。いわば、ここは空っぽの施設、野外劇場なのだ。日常の生活空間ではなく儀式用、それも国家規模の。
1871年3月1日、プロシア(ドイツ帝国)軍がパリに入城し、その行進もここで行われた。普仏戦争「戦勝」のパフォーマンスとあれば、ここ以外に考えられない‥‥。
簡単に流れを追おう。皇帝があっけなくプロシアの捕虜となり、成立した「臨時」国防政府は早いところ戦争を終結させたいというのが本音。次第に愛国意識に目覚めた民衆に戸惑いながら、戦うフリをしては後退に次ぐ後退を重ね「やむを得ず」停戦、和平に持ち込むハラだった。
1月18日、明け渡されたヴェルサイユ宮殿でプロシアとその同盟諸侯国はドイツ帝国の成立を宣言、プロシア国王ウィルヘルム1世がドイツ皇帝となる。1月28日、休戦協定。2月8日には国民議会選挙、「和平」派の勝利。
厭戦気分漂うブルジョワ層と地方の土地所有者、農民層の代表が多数派を占める国民議会は2月17日、行政長官にティエールを担ぎ出す。屈辱的な講和条件をのんでも「和平」を実現させたいティエール政府と、まともに戦えば充分にやれると信ずる抗戦派民衆の間にうがたれた溝は決定的なものとなる。
2月26日の講和予備条約調印でアルザス、ロレーヌの割譲と多額の賠償金受け入れ。そして迎えた3月1日だった。
ドイツ帝国による首都占領パフォーマンスは2日間のみの形式的なもので、シャンゼリゼ大通りを中心に限られたごく一部の地域に過ぎなかったとはいえ、パリ民衆に与えたインパクトは大きかった。
コンコルド広場に並ぶ女神像の顔を黒いベールで覆い、弔旗を窓から垂らしたアパルトマンも多かった。2日間の間に占領地域に入った娼婦は殴られ、休まず営業したカフェは打ち壊しに遭ったとある。
それでもこの程度ですんだ。民衆は堪えた。帝政以来の社会の在りよう、政治家や軍人の実際を見据えながら、ぎりぎりの我慢。この内圧が次の展開を生むことになる‥‥。
150年前のパリ、そこに生きる人びとに想いを馳せる醍醐味は、われわれの「今」とダイレクトにつながる問題意識を見出せることだ。
言い換えれば150年前のパリに、すでに「今」の抱える問題は出揃っていた。それもオブラートに包まれることなく、よりなまなましい形で。彼らが直面し提示する問題を感じ取ることで、「今」はどうなっているのか、恰好の捉え直しになる。
ぎりぎりの我慢を重ねた民衆が3月1日に抱いたのは、ずばり「ドイツ野郎め、ふざけやがって」、この思いだっただろう。うちのボンクラ、骨無しどもがまともに対応していれば、こんなことにはならなかった、とホゾを噛みながら。
自国の統一式典をよりによって、あのヴェルサイユ宮殿で執り行い、領土を削り取り、これ見よがしにシャンゼリゼを行進する。遅れてきたドイツ、国際舞台へ戦勝国として登場。はしゃぐ気持ちは分からぬわけではないが、調子に乗り過ぎではある。
パリ市民としては、はらわたの煮えくり返る想いだったろう。以後、独仏が真に和解するためには第二次大戦後のE Uに至る道のりと膨大な歳月を要することになる、そのきっかけはここだった。
民衆意識の原点には素朴な、素朴であるがゆえに強いパッションと言えるナショナリスムがある。外敵から「われわれ」を守ろう。これはとても自然な、人びとによって共感し合える感情だ。
人間が集団生活を始めると同時に誕生した「われわれ」の観念は、歴史と共にその意味内容を変える。フランス革命時にオーストリア、イングランドはじめ周辺の王国、帝国から干渉を受ける中で、さらに変貌を遂げ、新たなナショナリスムを共有していた。
19世紀に人気を博した新聞連載小説、バルザック、デュマから現在では読者を失い忘れ去られた大衆小説類まで、ぱらぱらページをめくってみるだけでも明らかだ。
冒険あり恋愛あり山あり谷ありのストーリー展開の中で、訳の分からぬ闇の陰謀が出てきたら、これはまずだいたいイエズス会かフリーメーソン、またはユダヤ人絡みと相場が決まっている。
イエズス会は、宗教改革で窮地に立ったローマ教皇の威光を再び世界に広めようとする宗教勢力。フリーメーソンは中世石工のギルドに起源を持つと言われる秘密結社。そしてユダヤ人は独自の宗教と選民意識で結ばれた金融資本。
三者の実際を検討するのが主題ではないことをお断りして、当時の民衆に「あいつらなら」と納得させる説得力を持ち、普段から怪しいと不安を抱かせていた共通性について考えてみよう。
‥‥まず三者三様の閉鎖性、排他性があげられる。要するに、何をやっているのか、何を考えているか分からぬ連中という思い、違和感。
そしてもうひとつ重要な共通項なのが、国際性。「われわれ」の共同体の外部につながっている、国際的ネットワークの存在こそ怪しくも恐ろしいものと映るのだ。
外的な恐怖から「われわれ」を守りたい。3月1日「酸っぱいキャベツばっかり食っていやがるドイツ野郎め」、そう呟きながら拳を握りしめていた人びとの姿が目に浮かぶ。
シャンゼリゼ大通りを行進するドイツ帝国軍に背を向け、しかし、自身のその呟きに限界を覚え始めている者が出てきたのも確かだ。
「われわれ」の意味は再び揺らぎ、新たな意味づけを求め始める。このとき堪えた苦しみは、新たな方向へと人びとを導いていくだろう‥‥。