ジヴェルニーは特別な場所だ。なにしろ近代美術の革命児、印象派絵画の代表者クロード・モネが暮らし、絵筆を取ったアトリエ、住居と庭園がそのままの形で残されているのだから。
パリ通勤圏内、日帰りで出掛けるに打ってつけの行きやすさとあって人気も抜群。半日コースに組み入れる旅行者も多い。
それでも日程が許すなら一泊はしたい。モネの庭園は晴れわたった日と雲の覆う日、そして午前中と夕方でも表情が変わる。最低2度は時間帯を変えて、ゆっくり時間を取りたい。それだけの価値はある。
サン・ラザール駅からセーヌ下流へ、イル・ドゥ・フランスからノルマンディに入ってすぐのヴェルノンで下車。駅周辺は首都圏に通う人たちの住まいが多いせいか、近代的な集合住宅の目立つものの、すぐに中世の面影の残る落ち着いたたたずまいを見せる。
駅前からジヴェルニー行きのバスが出ている。せっかくのヴェルノン、街並みを楽しむならプティ・トランに乗るのもいい。もっとこの地域を味わいたいなら歩いてみるのもいい。
教会のある街中からセーヌを渡って田園光景の中を小一時間、小高い丘の方に向かえば、そこはもうジヴェルニーの村だ。
1883年、43歳のモネは片田舎のこの小さな村に暮らすことを決意、以降86歳で永眠するまで居を移すことはなかったから、彼の後半生はここの地で営まれたことになる。
もともと農家だったという住居は広々としていて光に満ち、パリから離れ、家族とゆったり穏やかな田園生活を営むには、もってこいの住まいだった。そこには平穏な時間が流れている。
しかし忘れてならないのは、中央の画壇から相手にされなかった革命児の闘いの場でもあったこと。日々の闘いのなかで次第に支持者を増やし、名声と評価を不動のものとしていったのは、ここだった。
そんなことを念頭に、モネの暮らした家をひと部屋ひと部屋見回ると、画家であることの厳しさと喜びの嵐のような激情が、のどかな光景のうちに立ち上がってくるようだ。
とりわけ画家の魂が、今でもそこにとどまっているかに感じられるのはアトリエ。柔らかな木製の、広いアトリエの中央に立つと、ここにかつて同じように立っていた巨人の存在を、いつの間にか身近な影のように想い描いている。
浮世絵に魅せられたモネの有名なコレクションは、実際に目にすると北斎、広重、歌麿、それも、これほど粒よりの名品を集めていたのかと、あらためて唸らされる。ジャポニスムを単なる流行としてだけでなく、画家は異文化のその最も上質な部分を理解し消化していた。その証拠と言えるだろう。
屋内の空気を充分に吸い込んだと感じたら、いよいよ庭園へ。
自分のために、創作のために、個人的に、これほどまで密度の濃い庭園を作り出してしまった例は、寡聞にしてあまり知らない。
庭園、確かに庭園であるには違いないけれど、庭園と呼ぶにはなにか過剰なものを感じる。みっしりと植え込まれた植物、咲き乱れる花々に群れる蜂、蝶、多くの昆虫たち。
‥‥過剰なのは生命力と言っていいかもしれないと思いつく。庭園と呼ぶより農園、迫力を表現することばを見出せぬもどかしさを感じる。まずは驚きを覚える。驚きのあと、余韻のような安らかさが訪れるとだけは記しておきたい。
庭園は二つの部分に分かれていて、生命力の横隘する「農園」から自動車の通る道をくぐり抜けると、日本風の橋で知られる池へと導かれる。水面に映る草花、柳などの樹木は風に揺れ、さざなみが立つと睡蓮の葉にまばゆい陽光が反射する。
飽きない。共にこの場にいる、世界中からの訪問客の存在を忘れてしまうほど。そのくせ、たった一人この場に置き去りにされたなら怖さを覚えるだろう。したたるような光の中で、黙々とキャンバスに向かう巨人は「鬼」だったのかもしれない。
‥‥モネの暮らし始めた頃、ジヴェルニーは特筆すべき何物もない寒村だった。春から秋にかけて、年の半分は訪問者で埋まる現在でも、ひなびた集落だった頃の面影を捨ててはいない。
村の中央の交差点近くにあるホテル・ボディは、モネが住み着いた時代に開いていた唯一のホテルであり、レストランだった。旅籠〔はたご〕と言った方がぴんとくるかもしれない。モネを訪ねてやってきた知人、友人、そしてモネの絵を慕って若い画家たちも海外から訪れ、ここに逗留、会食したという。
ホテルの中庭には、逗留した画家たちが制作の場にしたアトリエが現存している。もしかしたら、現在でもここは実際に使われているのかもしれない。どうぞ自由にご覧ください、と言ったきり誰もいなくなってしまったので、確かめようもなかったが。
クロード・モネ街を、さらに道なりに進んでみる。少し歩くだけで人通りはまばらになり、やがて右側斜面にサント・ラドゴンド教会が姿を現す。
村はずれにそっと立つ、飾りけのない教会のすぐ脇、ゆるやかな石段のところに、画家と家族の墓所がある。ここにも家族に包まれた画家のあたたかな世界がある。
しかし、この穏やかな柔らかさに納得してしまってはならない。そこに収斂されぬ狂おしいまでの激しさ。引き裂かれたような二面性を宿しながら、この画家は陽光のうちに燃えている。
その想いは、こうして彼の息遣いを感じられほど近くまで足を運び、陽だまりの墓所を訪れても、収まることはなかった。
クロード・モネ。‥‥彼はいまだに分裂の謎のうちにある。