トロワ《TROYES》へ:パリからの小さな旅

パリ東駅から在来線で一時間半ほど。日帰り可能。手軽なバス旅行、レンタカーという手もある。

個人的な趣味・嗜好としては、パリと異なる文化圏に出るとき、そこで最低一泊はするよう心掛けている。地元の夜のレストラン、その雰囲気と料理を味わい、夜道を迷いながら宿に戻り、その土地で眠り目が醒めなくては旅をした気になれないからだ。

19世紀に町や都市はどのような変貌を遂げたのかが常に関心の中心にあるから、交通機関は可能な限り鉄道を利用する。パリの駅から15分も列車に乗れば田園風景、教会を中心にした小集落がバルビゾン派の風景画のように目に飛び込んでくるから、快いことこの上ない。

というわけでシャンパーニュ地方の中心都市のひとつ、トロワを訪れる。

夜行性の人間が無理なく乗れる時間帯の列車で、昼食時刻には到着できる。19世紀に敷設された鉄道はほとんどの町で、旧市街をはずれたところに駅舎がある。トロワとて例外ではない。

駅前からバスかタクシーを利用するのもいいけれど、よほどの大都市か地理的な条件でもない限り、旧市街、市の中心部には充分に歩いていける。20世紀以降の味けない街並みから19世紀以前の濃密な、ひとの営みの積み重なりに入り込む感覚は捨てがたい。

とりわけトロワの魅力は、奇跡的に戦火をまぬがれ、中世の街並みの残っていること。‥‥それにパリと比べてなんと清潔で、すがすがしいことか。これだけでも歩きたくなる。

駅で観光案内所(office du tourisme)の位置を確かめたなら、まずはそこを目指して歩き始める。トロワの場合市庁舎のすぐ脇。駅前の大通りジェネラル・ド・ゴール街を少し進んで右に折れれば、そこはもはや中世のたたずまい。

奥に見えるのが「猫の小径」

500年も前のハーフティンバー、剝き出しになった木組みと壁の対照の鮮やかな家が立ち並び、当たり前の暮らしが営まれている。猫の小径などと名づけられた幅の狭い路地が活きている。

たかが50~60年前に建てられた建築が醜く老朽化していくのに比べて、どうして何世紀も経つ建物がこんなにも気分をやわらげ、目に優しく、心落ち着かせるのだろうか。

観光案内所では、ともかく市内の地図をもらう。旅行者にとってはどこで手に入れるものよりよく出来ているから、この地図を手にしてはじめて目的地の選定と歩き方を決める。ついでに、まともなトイレも用意されているケースが多いから、こちらも貴重。

‥‥話には聞いていたものの、本当にトロワの街はシャンパーニュのコルクの栓の形をしている。大雑把に言うと西側が横長の長方形で、東側は円形のかたまり、西のはずれに駅があり、東のはずれにセーヌ川が流れている。パリのかなり上流に位置していることになる。

円形東部のほぼ中心にあるカテドラルは建造、破壊、再建、修復を繰り返してきたもので、現在のものは15世紀から建造され19世紀まで部分的に修復と改修、拡張を重ねてきたものだという。数世紀にわたって建設されてきたフランボワイヤン様式の傑作とある。‥‥しかし、正面から見るといまだ右側の塔部分の作られていない、未完の状態のままにも見える。

パリを離れ気分転換に訪れたのだから余計な詮索をする気はない。バランスを欠いている印象は拭えないけれど、それはまたそれで動的な魅力でもある。中に入ると快晴の光の加減にもよるのだろう。発色の美しいステンドグラス越しの陽にさらされ、世俗の汚濁にどっぷり漬かった身でも、浄められるような気分になるから不思議だ。

信者でもない立場で教会建築を巡ると余計気になるのだろうか、同じ宗派の教会でもそこを信仰の場とする人びとに自然に敬意を覚える空間と、そうでない場とがある。トロワの街に溶け込むようにあるいくつもの教会は、おおむね鬼面人を威〔おど〕すといった厭らしさがない。自然に呼吸している柔らかさがある。

中でも旧市街西北部に位置するサント・マドレーヌ寺院では、ゆっくり時間を取りたい。12世紀に建造されたという、現存するトロワ最古の教会には、「とき」そのものがゆっくりと積もっているから。

この教会の内陣仕切りは16世紀、ルネサンス期にあらたに造られ、そのレース編みのように緻密、繊細な仕上がりは一見の価値がある。‥‥ガイドブック風にまとめてしまうとこんなところだが、紋切り調からはるかにはみだし、いつしか呆然と眺め入っている。

信仰する者の恍惚と、職人としての技を発揮し尽くす喜び、それを仲間と長いときを共にしながら形象化していく幸福な営みがここに結晶しているようだ。

コンチネンタル風の朝食を別にするとトロワで摂った食事は3回、そのうち2回はこの地方の名産、アンドゥイエットという豚モツと肉を渦巻状に加工したソーセージを、これまたこの地方特産のチーズ、シャウルスを絡めてグリルしたものを主皿にする。飲み物にはもちろんシャンパーニュ。

市庁舎近く、ハーフティンバーの中世家屋がレストラン街を形作っているあたりと、市場に近い地元民が多く利用しそうな一角と。ナイフを入れると弾けるようにほどけるソーセージは脂質も少なく、弾力のある旨味が舌の上にひろがる。これをほぐして味噌で煮込めば、上質なモツ煮込みになるのではないか。

シャンパーニュ専門店を覗いていたら、恰幅のいいオヤジが「パリでなら、この何倍もする」と囁き、腐るものでもなし、それもそうだなと6本入りケースを購入。その重いこと。列車の旅だったことをついつい忘れる。

やっとケースを持ち上げるのを手伝ってくれながら「パリか、パリはいいな、活気があって。トロワは美しい、素晴らしい町だよ。しかし、パリは動いている、田舎は眠っているのさ」いかつい顔に、オヤジはなんとも言えない笑みを浮かべた。

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