掘割を頼りに:フィリップ・オーギュストの城壁めぐり その7

コントレスカルプ広場で一服、これから進む掘割の道を確かめる。城壁の機能を強化するために造られた掘割の跡は、名をかえ一部途切れる地点はあるものの大きくカーヴを描く道となって、セーヌ河畔フランス学士院の方向へ伸びている。

城壁はその内側に沿っていたわけだから、進行方向右手にそそりたっていたことになる。この点をしっかり押さえて、掘割の道を進んで行こう。このあたり心強い参考書として宮下志朗「パリ歴史探偵術」があるので、必要に応じてバッグから引き出し確かめることにする。

かつての市門の表示のあったデカルト街50番地に近い、トゥアン街からエストラパード街へ。ちょうどサン・ジュヌヴィエーヴ山のいただきを迂回するように掘割の道はつづいている。ユルム街を渡るとき、パンテオンのドームが思いのほか間近に見えたのに驚かされる。

「パリ歴史地図」(東京書籍)の図版より。今回の対象地は最下部から左上へ、河の手前まで

エストラパードとは「吊り落としの刑」を意味するのだそう。噴水のあるこぢんまりと気持ちのいいエストラパード広場は、かつてその処刑の場であったと読むと、中世には中世の血生臭さのあったことを再認識させられる。

脱走兵や罪を犯した兵士に科された刑は、手足がばらばらに砕け散るまで、綱に吊るして引き上げ幾度も地面に叩きつけるものだった。現代の野蛮と中世の野蛮を比較する気はないけれど、加工されぬ剝き出しの、ある種無邪気な残虐性とでも呼びたくなる。効果的な見せしめは祝祭的な彩りを帯びたことだろう‥‥。

かつての掘割(フォセ)を今でも名乗るフォセ・サン・ジャック街と名をかえると、やがてパリ市中央から南に向かう主要な街道だったサン・ジャック街と交叉する。通行量の多い規模の大きなサン・ジャック門がここにあったのは、サン・ジャック街172番地の3階にあたる部分に掲げられたプレートで確認できる。

プレートでは、対になった塔の壁とは外側方向に広く囲われた土地がはみ出ている。行き交う馬車や歩行者などここで待機させられ、取り調べを受けたのだろう。城壁そのものは、現在のパンテオン正面の大通りスフロ街に接するように伸びていたと分かる。

先刻の交叉点に戻り、掘割通りをマルブロンシュ街と名をかえた方角に進むと、これが不思議な形状をなしている。進行方向左手はそのままの高さで右手はえぐられたような坂になって、一段低くなっているのだ。

掘割の通りだと知らなければ、高低差のあるおよそ立地条件の悪いところを街路にしたものだ、と感じるだろう。しかし逆なのだ。‥‥掘割を利用して街路にしたからこそ、掘割と土手の高低差の残った情景が現れた‥‥。

突き当たったら右手に折れるとスフロ街、すぐ左手にサン・ミッシェルの大通り。古くからの街道サン・ジャック街と平行して19世紀第二帝政期に造られた大通りは、右岸のセバストポール大通りと同じ役割を果たした。交通量の確保、市街整備と治安対策、パリの都市近代化をになうという意味で。

大通りを渡ると、ムッシュー・ル・プランス街、この通りも左右に微妙に掘割の段差の残る道だ。あくまで主題から脱線せぬよう、段差のある掘割通りというにとどめておくが、この街路も気になる多くのエピソードに彩られている。

オデオンの交叉点、フランス革命の立役者のひとりダントンの像のある場所でサンジェルマン大通りを渡ったら、アンシエンヌ・コメディ街へ。1682年創業というパリでいちばん古いカフェ、現在ではカフェというよりレストランとして知られるプロコープのある通り。歴史の詰まった老舗も、かつての掘割に立っていることになる。

道が複雑に交叉する右手サンタンドレ・デザール街には、ここにビュシィの市門のあったことを示す碑。それを確かめたら交叉点に引き返してフランス学士院のドームが真っ直ぐ先に見え始めた掘割通り、マザリーヌ街を進む。

右手27番地のパーキングは、壁巡り愛好者の観測地点だ。自動車出入り口の脇にある歩行者用通路から中へ入ってみよう。狭い通路の階段を降りて扉を開くと、地下駐車場の壁の一部に、かつての城壁の石組みを見出せる。

見学者が多いせいだろうか、いつの間にかガラスで覆われて保護されるようになった。それはいいのだけれど、写真を撮ろうとすると変に周囲を反射してしまい、うまくいかない。ここは存在を確認してゆっくり眺めるにとどめておく。

パーキング隣はパサージュ・ドフィーヌの入り口。パサージュといっても天井のあるアーケード商店街ではなく、文字通り「抜け道」で、自動車の往来の激しい通りから入り込むと、ほっとする開放的な空間だ。ここの13番地に語学学校があって、この建物の中にも城壁の跡が残っていると聞いた。

なかなか活気のある語学学校の受付カウンターに向かい、「フィリップ・オーギュストの壁を見たい」となんとか伝える。若い女性はにっこり笑うと、「そこの階段を降りた地下の教室よ、この時間なら使っていないからどうぞ」と(多分)言ったのだろうと解釈する。

地下の階段教室を覗くとびっくり。教室の壁の一部が城壁そのままで塔の丸くせりだした部分まで取り入れられている。パーキング地下で見たものの並びにあたるわけだが、綺麗に洗われインテリアとしてもうまく生きている。

今回眺めてきた城壁跡のうち、現代建築の中でもっともうまく活用されている例はここかもしれない。

マザリーヌ街まで引き返してきたらしばらく先、変則的な交叉点で掘割の道をはずれ斜め右手のゲネゴー街へ。29番地あたりから造幣局方向に横切る形で城壁はつづいていたと資料にはある。

正面はすでにブキニストの並ぶセーヌ、コンティ河岸‥‥。

ルーヴル街13番地から:フィリップ・オーギュストの城壁めぐり その1 » 遊歩舎
パリ1区、サントノレ街との交叉点からルーヴル街を少し北上した左側13番地から始める。 かつての城壁跡をひとめぐりしようという試みだから、どこから始めてどちらへ向かおうと結局一周してスタート地点に戻ってくる。交通の便と分か …

返事を書く

CAPTCHA