トゥルネル橋からの情景は絵になる。セーヌ川と街の織りなす姿を一望すると、ノートルダム大聖堂の存在の大きさをあらためて感じる。火災のあとではなおさら。‥‥したがって、ここではあえて火災以前に撮影したものを掲げる。
さあ、あらためて城壁めぐりの小さな旅を。
街並みに城壁の跡の多くが溶け込んだ右岸に比べて、左岸の道筋はシンプルで分かりやすい。

商業流通を中心に市域が急速に拡大、人口の増大した右岸はフィリップ・オーギュストの壁では手狭となり、百数十年後にはもうひとつ外側に城壁を建設し直さなくてはならなかったのに対し、修道院など宗教施設の多かった左岸では人口の増加、市域の拡大もゆるやかだった。
そこで新しい城壁の建造にあたり、左岸は旧来のフィリップ・オーギュストの壁をそのまま利用することとした。時代的にも後代まで活用されただけでなく、右岸の新しい壁に合わせて掘割を設けるなど補修・強化もなされたから、よりしっかりした形で残ることになった。
この掘割を埋め立てて街路にしたところを押さえておけば、ほぼすぐその内側に城壁が伸びていたと考えて間違いない。掘割の意であるフォセfosséをいまだに名乗るフォセ・サン・ベルナール街、そしてエコール街を越えたらカルディナル・ルモワンヌ街へ。
まずはこの通りを軸に、周囲に注意を払って進めば壁の跡をそこここに見出し、感じ取ることができる。私有地の中に取り込まれていて、入り込めないところが多いのは仕方ないとして。
橋を渡ったら、トゥルネル河岸を鴨料理で有名な老舗レストラン、トゥール・ダルジャンの前を通って少し左へ。サンジェルマン大通りとぶつかる方向へ進むと「パリの歴史」碑が立っていて、ここにトゥルネルの城砦があったと記されている。
右岸にあったバルボー塔と、鎖を結びつけてセーヌ川を守ったトゥルネル塔の地点が、パリ左岸東端の防御拠点として発展強化拡大されたさまがうかがえる。
サンジェルマン大通り7−2の建物は、トゥルネル塔から伸びた城壁跡に建てられたそうだ。文字通り肩身狭く両脇に嵌め込まれたように建てられ、内部はどうなっているのか興味をそそる。こういう形で壁の跡が残っているのも面白い。
今は暗渠になってしまった、セーヌ川の支流である小川ビエーヴル川が当時はこのあたりを流れていて、緑多い修道院を縫うせせらぎは、さぞかし牧歌的な風情を醸し出していたに違いない。小川は、サン・ヴィクトール門のあたりで城壁をくぐりぬけていた。
現在、カルディナル・ルモワンヌ街とエコール街の角は郵便局になっているが、ここの地下に、小川の流れをまたいでアーチ状に造られた城壁の基礎部分、改修後に整備された跡がそのまま残っているとある。
早速、郵便局の職員の方にたどたどしくもしつこく聞き出したところ、ひと月に一回、見学できる日を設けているという。希望者はインターネットで申し込めるとのこと。中世建築、都市工学、歴史学者にはたまらない魅力だろう。‥‥一介の遊歩者としては遠慮しておくが。
エコール街を抜けるとカルディナル・ルモワンヌ街は、サント・ジュヌヴィエーヴ山の丘に向けて上り坂の勾配が急になる。48番地にある消防署に沿って右手に入り込むと、西暦1200年前後に築かれた城壁の一部は、現代建築のアクセントのようになっている。
このあたりの建物は礎石をはじめ、地下のカーヴ、中庭の一部などにかつての城壁の用いられているケースが多いと資料にはある。もっとも、それが現在どの程度認知されているかは不明だ。住民にしたところで、自分の暮らす建物の石材にどんな歴史的ないわれがあるか、興味を抱く方が珍しいかもしれない。
やがて右手にクロヴィス街。城壁の一部が剝き出しに突き出ていて、城壁探索者にとっては必見のポイントとなっている。ここがユニークなのは、壁の断面がさらされていること。中心にバラストが積まれ、表面を漆喰で固めた石垣で覆っている‥‥と建築素人には映る。
カルディナル・ルモワンヌ街をさらに行くと、ちょうど62番地の建物から住民が出てきて、大きな扉が開いた。これはチャンスだから「ボンジュール」と声を掛け、中に入れてもらう。狭い中庭の奥に城壁の石垣が見え、これはクロヴィス街の露出箇所へつながっているのだろう。なんということはない日常的な光景ではあるけれど、一般住宅に用いられているのを目にすると、不思議な感動を覚える。
感動の余韻のままトゥアン街を右折すると、すぐにデカルト街との交叉点があって、デカルト街50番地に、ボルデ門とも呼ばれたサン・マルセル門はここにあったとのプレート。
すでにカルディナル・ルモワンヌ街を上りきった端に近く、踵を返すとカフェに囲まれた、コントレスカルプ広場が見える。地元の常連と周囲の各種教育機関に通う学生たち、そして観光、通りすがりの客がほどよく混ざってリラックスできる空間だ。
フランス・ルネサンス期の研究者であり、切れのいい文章家でもある宮下志朗氏によれば、コントレスカルプとは「お堀の外側の斜面」という意味らしい。この広場の名に、かつての城壁の存在は刻印されている。
われわれの小さな旅も、航路を踏み外してはいないようだ。