西暦1200年前後に建造された城壁の跡をたどって歩いてみるのもおもしろいと知らされたのは、このマレ地区の繁華街でじっと立ち止まって、フィリップ・オーギュストの城壁についてのプレートに見入っている日本人の御婦人を見かけたのがきっかけだった。
パリリピーターだった某女史から「今回のテーマはフィリップ・オーギュストの壁めぐり」と聞き、このときの光景を思い出して「壁めぐりはブームなの」と訊ねると「ネットに丁寧な記事がアップされていて興味を覚えたから」だと言う。

なるほど。教えられたネットの記事を見て驚いた。各種文献、地図、情報サイトなどを徹底的に研究して調べ上げ、わずかなパリ滞在時間をフルに活かしてまとめあげた記事に、アタマの下がる思いだった。
およそ2000年の歴史を持つパリが1200年ほど経過した頃の市域と、それから800年の歳月の積み重なりと‥‥。その輪郭を実感することで、この街の姿はより濃い陰影を刻んで立ち上がってくるのではないかという想いに感染した。
私有地内で見られなかったものが見られるようになった箇所もあるし、道しるべとなる情報も少しは更新できるかもしれない。ネットにあげられた多くの探求者、また実際に歩かれた、パリという街の物語に取り憑かれた方々への共感とオマージュを込めて、今またこうして歩き、記録しておこうという気になった。
‥‥前置きが長くなった。今回はマレ地区フラン・ブルジョワ街57番地の公営質屋を出てきたところから始まる。
フラン・ブルジョワ街を東へ、番地ナンバーの若くなる方へと歩を進めると右手にノートルダム・デ・ブランマントー教会。この教会を越えたところで右手に折れ、教会とすぐ並んだ小さな児童公園を突っ切る。公営質屋の中庭に残されていた壁の跡を示すラインを延長すると、この教会と児童遊園地あたりを横断していたと考えて間違いない。
児童公園を突き抜けるとブランマントー街で、左手正面にブランマントー常設市場の建物が見える。この市場の建物は現在、市場としての役割を終え、各種催事場として利用されている。ヴィエイユ・デュ・タンプル街を渡って建物正面に立ったら、向かって左手、北側の壁面へと向かおう。ここでプレートを確認できる。
フィリップ・オーギュストの壁、バルベット門はここにあった。‥‥正直に告白しよう、幾度このあたりこの前を通り過ぎたことだろう。何度歩いても目に入らずに行き過ぎていたものが、ある日ふっと目に留まる。それほど小さな目立たぬプレートだけれど、パリの歴史の大きな生き証人、なにより発見の喜びがある。
2000年の歴史を持つ割に、都市改造、スクラップ・アンド・ビルドが幾度も行われてきたせいで、パリにはそれほど古い家並みが残されているわけではない。マレ地区の魅力のひとつは、そんななかで年代を感じさせる建物の立っている密度の高いこと。中世の城壁跡を求めて歩くには、もっとも似合う街区ではないかという気がする。
市場の建物を回りこむように右折、背後の小広場をまっすぐに進むと突きあたるのはロジエ街、ここを左折。このあたりはユダヤ人の多く住む街で、レストラン、ファストフード店はじめ、各種商店が賑やかに軒を連らねている。
地図を見るとユダヤ教の礼拝所であるシナゴーグのマークが、当然のことながらこのあたりには多い。しかし、カトリックの教会のように目立つわけではないので、ふらり歩いている異教徒の目にはまず入ってこない。
ロジエ街10番地にロジエ・ジョセフ・ミニョレ庭園の入り口。入り口は狭いが、館と館の隙間をつないだ緑地は次つぎと思いがけぬ表情を見せ、気分転換にいい。この緑地にはフィリップ・オーギュストの壁、塔のあたりの一部がなにげなく剝き出しになっている。無造作に放っておかれながら、周囲の光景と溶け込んでいる。
ロジエ街がマレ街に突き当たったところで右折すると、サンポール・サンルイ教会の威容が見えてくる。