どの一角を切り取っても、降り積もった「時」を感じさせる。パリ発祥の地であり地理的にもまん真ん中に位置する、さして広くもないセーヌの中洲シテ島。
司法、警察の中枢があり、観光の対象となるような公共空間、宗教建造物、遺跡や公園の詰まっているのは理解できる。しかし、そこにはごく普通に人びとの暮らす住宅地もある、となると驚かずにいられない。
夜間無人になるような都心を作らない。ロンドンやニューヨーク、東京とはまるきり異なる都市原理が働いている。‥‥島の北東部、ノートルダム大寺院の北側に位置する街区を歩くとつくづくそんなことを考えさせられる。
市庁舎前広場からアルコル橋を渡ってすぐ左、フルール河岸へ。ここからセーヌ越しに見るパリ市庁舎の威容もなかなかのものだ。百年戦争のさなか、王権に対抗したパリ市民の指導者「中世のダントン」ことエティエンヌ・マルセルの像も遠望できる。
しばし立ち止まり、右手を振り返ると、窪みのようにへこんだところにコロンブ街が入り口をひろげている。その6番地、いかにも古めかしい建物に寄り添うように、シテ島をめぐる城壁の名残。

パリすなわちシテ島でしかなかった時代の、もっとも古い城壁だ。
‥‥ノートルダム大聖堂前の広場地下には、西暦紀元前後のパリが示されている。都市というより集落と呼ぶにふさわしい暮らしの場を脳裡に焼き付けてきたなら、さらに想いは深いものとなる。
当時のシテ島内域を囲む壁のうち、ただ一ヵ所現代の地表に露出している箇所ということになる。現在に突出した古代、その遺跡。‥‥赤い前かけの地蔵と賽銭箱でも置くと似合いそうだ‥‥。
フルール河岸はゆるやかに右側へとカーヴしているから、道沿いにセーヌ、右岸にひろがる光景は目の前に見える。しばらく行くと、ユルサン街、シャントル街がぶつかる辻に。‥‥ここはシテ島めぐりの中でもはずせぬポイントだと個人的には感じる。
河岸から段を降りてユルサン街、シャントル街の持つ奥行き全体、その雰囲気を味わってみよう。狭い幅の道がうねるようにつづくさまは、「中世」を体感させるに充分だ。
パリは2000年以上の歴史を持ちながら、拡大、破壊、改造、再開発を繰り返してきたから、地方の中核都市と比べると意外に古い町並みや建築物の残る箇所は少ない。その意味から言っても、ここの辻に漂う空気の重みは貴重だ。
シャントル街の奥、その狭い隙間にノートルダム大聖堂の尖塔が見える。
不思議なものだ。‥‥正面の視界いっぱいにそびえたつのを見れば、その圧倒的な存在感に威圧される。しかし、人びとの暮らす町並みの奥に、遠景として目に入ってくるときには、威圧感とは別の静けさをもって心に沁み入ってくる。
幾世紀にもわたって、この狭い小路を通り過ぎた人影。そんなことを思っていると、ユルサン街の角に1910年の洪水で、最高水位はここまで及んだという記録の刻み込まれていることに気付く。
セーヌの水位は8.6メートルも上昇、氾濫による浸水家屋は2万戸に及んだという。このときの模様は数々の写真や絵葉書になって残っているので、比較的容易に見ることが出来る。19世紀風のしゃちほこばった外出着に身を固めた紳士淑女が、みずうみと化した街なかを行くさまは、どこかユーモラスでさえある。
大雨が降り、鉄砲水の濁流が一気に押し寄せるという洪水のタイプに慣れた者にとって、パリの洪水はずいぶんイメージの異なるものだ。上流地域に降った水量が重なり、じわりじわりと水位が上がる。洪水はゆっくりやってきて、次第にひろがり、そして居座る。
1910年の洪水水位のプレートを見ると、まず一階は水浸し、二階からボートで出入りしたのだろうか。それも2ヵ月にもわたろうという長い期間‥‥。
フルール河岸から見るセーヌは、それでなくとも水量豊かに映る。サン・ルイ島の北側を流れてきた本流とサン・ルイ、シテ、二つの中洲の間を抜けてきた流れが、このあたりで合流するからでもあるだろう。
セーヌの向こう、市庁舎からサン・ジェルヴェ教会を近景にひろがる光景は美しい。パリはその歴史の局面で、水都という貌も持っていたことを、あらためて思い出させてくれる。
そして、フルール河岸9番地から11番地の建物に掲げられたプレートを見て、再び驚かされることになる。
19世紀半ば1849年に建て直されたものとの断り書きはあるものの、1118年エロイーズとアベラールのかつての暮らしたところとある。中世の伝説的なカップルが、いきなり目の前に現われる‥‥。
12世紀はじめ、神学者として名声を博していたアベラールは才色兼備のエロイーズの家庭教師となる。20歳も年の離れた、今をときめく神学者なら「間違い」はないだろう‥‥というのは甘いと言えば甘い見込みというしかない。聡明な大人の男子と、理解力に富み夢見がちな美少女となれば‥‥「間違い」どころか「大間違い」だって起こるだろう。
子どもが出来、結婚までしてしまった二人に、監督責任を感じたのかどうかその辺の事情は定かでないが、ノートルダム大聖堂参事会会員たるエロイーズの叔父は大いに憤ってアベラールを襲わせ、無理やり去勢してしまう。
引き離され、それぞれ修道院で生活するようになっても往復書簡で結ばれ、死後は同一の墓に埋葬されたという。
このふたりの物語の場。
シテ島往ったり来たり。シテ島散歩は、こうしてまたまた魂を揺さぶられる物語との出会いとなった。