サン・ルイ島を横目に:シテ島往ったり来たり

ノートルダム大聖堂の堂内探訪を堪能したなら、聖堂裏手にまわりこみ、ジャン(ヨハネ)23世緑地で一息入れるのもいい。整然と刈り込まれた樹木と噴水の向こうに聳える聖堂後陣の美しさをゆっくり味わうことが出来る。

19世紀初期までここには教会の付属施設や礼拝堂、一般家屋など密集していたのが、度重なる革命の動乱、混乱を経てすっかり焼き払われてしまったという。

ということは、この堂々たる聖堂の後ろ姿を目にする景観の開けたのは、敬虔な信者たちや民衆にのみ囲まれていた時代ではなく、教会離れした人びと、地方からの上京組や観光客の集まり始めた頃で、それ以前は大司教でさえこの眺めを楽しめはしなかった。そう考えると少し皮肉な気分になる。

聖堂を背に緑地から出ると、目の前に広がる家並みはサン・ルイ島。サン・ルイ島とつなぐ橋のたもとで、西陽を浴びた家並みの連なりは一見の価値がある。絵描きがスケッチブックをひろげるスポットのひとつにもなっている。

1850年代~60年代、ナポレオン3世の第二帝政下に行われた大規模な都市改造で、プティ・ポン脇マルシェ・ヌフ河岸にあったモルグの移されたのがここだった。

溺死者、行き倒れ、事故、自殺、犯罪被害者など身元不明者、不審死の遺体が安置、公開されていたというモルグは、映画や小説など物語世界でお馴染みだが、19世紀末から20世紀初頭ベル・エポック期には散策者、遊歩者の立ち寄る名所となっていた様子もうかがえる。

暇にまかせた散歩で、好奇心半分覗き込んでみる。新聞に取り上げられた事件の直後とあればたまらない、物見高い市民が実際の被害者をひと目でも見ようと殺到する。そういう野次馬精神、覗き見根性を満足させる場として、一般に開放されていたというのも興味深い。

見せるものと隠すもの。時代と地域によってさまざまなバリエーションを持つ「文化コード」を考えるにあたって、モルグとパリ市民社会の関係は、かなり刺激的なテーマになるのではないだろうか。

シテ島を大きな船にたとえれば、東の端、セーヌ上流からの流れを受ける舳先にあたるここには現在、第二次大戦時に、フランス国内から強制収容所に送られて行ったユダヤ人犠牲者を想起するための記念施設がある。

芝生に覆われた小空間に身を置くと、吹き抜ける風を感じる。島の突端、舳先方向に作られた階段を降りると、セーヌの川面ぎりぎり、波立つ川の流れを背景にした石組みの場に出る。

牢獄または墓場、劇場の舞台裏。石舞台古墳のように剝き出しにされた古代の石造建築のようでもあれば、ヨーロッパ中世の城郭に作られた塔の内側のようでもある。現代建築が古代的、中世的な「石」の表情を呼び起こすように作り上げた強制収容所のイメージと言えばいいだろうか。

過度の情緒性を排した、記録の持つ雄弁さが胸を打つ。

フランス国土を写した地図には地域ごとに数字が示されている。その地から収容所に送り出されたユダヤ人の数だ。ナチスの直接占領下にあった地域だけではなく、多い少ないのバラツキはあってもほぼ全国に及ぶ。これはペタン将軍をトップとするヴィシー政権による、対独協力政策としてなされた「ユダヤ人狩り」の実態を表している。

ユダヤ人はひと目で誰もがユダヤ人と分かるように、胸元に星形のマークを常に提示していなくてはならなかったが、これがまた色遣い等で細かく分類されている。たとえばホモセクシュアル、共産主義者などといった具合に。

文字通りレッテルが貼り付けられていて、ナチスなりの価値観にそってグループを選別しては、きつい労働をあてがったり、ガス室に送り込む順番などを決めたのだろう。

人間に向けられた国家犯罪の刃#やいば#。光を帯びて語られる対独レジスタンスばかりではなく、大戦下フランスはこうした暗部を引きずる当事者の貌も持っていた。

そういう負の歴史記念物をパリ発祥の中心地、それもノートルダム大聖堂と隣り合わせに造る。歴史の現実を直視し、記憶を共有する場として。その見事さ、鮮やかさに脱帽。いかにつらくとも、これをしなくてはいけないのだ。これなくして市民意識の成熟はないとも感じる。

しかし‥‥と、一方で膨れあがる想いがある。

小学校の図書館で読んだ「アンネの日記」にはじまり、フランクルの「夜と霧」やハンナ・アレントのナチズムに関する分析に衝撃を受け、あまたの小説、映画で、ユダヤ人に対してなされてきた蛮行を学んできたつもりであるし、その延長としてこの施設の意義を受け止めたつもりでもある。

そういう者として、戦後の数十年、中東の地で繰り広げられ、今や日常として定着した感さえある現実に戸惑いを禁じ得ない。明らかな不正義と暴虐の実行者は「イスラエル」を名乗る、圧倒的な資金力と武力を誇る強者であるのはどういうことだろう。

人類の持つ野蛮を体験したことを契機に、それを研究考察し、告発、克服しようと努力してきた人びとと、現実に殺戮と略奪を日々のなりわいとする人びとを、同じ「ユダヤ人」と呼ばなくてはならないのか。どうしても理解できない。

セーヌ川の波がひたひたと押し寄せる「強制収容所」にたたずむと、めまいにとらわれる。今や収容所の内に在るのは地球上すべての生きとし生けるものなのではあるまいか‥‥。

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