それでも、超越的な力を目の当たりにすれば謙虚な気持ちにとらわれる。祈りを捧げる人びとには心打たれもする。宗教音楽、宗教建築にも心惹かれる。
折にふれ見かけるノートルダム大聖堂を写しておきたいと感じるのは、そんな心理の延長かもしれない。いつの間にか溜まった写真のうちから何枚かをご披露する。
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セーヌが流れ、人びとの暮らすまちができ、まちと共に祈る場はつづいてきた。祈りのことばはかわり、時は流れ、暮らしの形が移ろうと‥‥。それだけで奇跡的だと思えるから。
21世紀はじめ。初冬のたたずまい。
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聖母被昇天祭、8月15日。銀色のマリアは教区をまわると、聖堂内に入る。聖母の葬礼。ちょうど御盆に重なる。
盛夏のうちに忍びよる涼気を感じる頃、母なる者を想う。
宗教を超え、めぐる季節に開いた共通する感受性かもしれない。
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2017年11月。第一次世界大戦100周年記念のパフォーマンス。*
トゥルネル橋より。
空とセーヌと。大聖堂を載せたシテ島は、さながらそこを漂う大きな船‥‥。
エッフェル塔が見える » 遊歩舎
富士が見えるかどうか、生活の各場面でアクセントだった。思いがけず見えたときはそれだけで嬉しい。無条件で得をした気分になる。幾度見ても何度眺めても、富士の見える喜びは格別のものがある。 エッフェル塔の見える喜びは、少しそれ …