メトロこぼれ噺

自動車はじめ交通機関は左側通行というのが骨の髄まで沁み込んでいるらしく、何年経っても咄嗟のときにうろたえる。バスやトラムはもちろんメトロまで右側。そのくせ他の公共鉄道、国鉄はすべて左側通行ときている。

トラムは道路交通システムで仕方がないとして、おいメトロ、キミには鉄道としての自意識がないのか、とツッコミを入れたくもなる。‥‥素朴にこう感じていたけれど、意外に根深い歴史と問題を秘めていると分かったときには、すっきりすると同時に笑い出してしまった。

パリのメトロは1900年、かろうじて19世紀の最終年、万博に合わせる形で開通した。

同じ万博がらみと言ってもエッフェル塔は1889年の万博だから、メトロよりおよそ10年も早いことになる。メトロの走っていないパリにエッフェル塔の立っている情景を思い浮かべるのは困難で、なにか不思議な気さえする。

ロンドンの1863年に遅れること、なんと40年弱。イスタンブールやブダペストにも先んじられていたことになるから、誇り高きパリっ子としては内心穏やかならぬものがあっただろう。

どうして、こんなに遅れたのだろう。

さまざまな事情の絡み合った挙げ句ではあろうが、それでももっとも根本的な要因をあげるなら、そもそも地下鉄なるものをどう位置づけるか、議論になかなか決着がつかなかったからだ。そこがいかにもパリらしい。

地下鉄とはなにものであるかに始まり、都市交通はいかにあるべきか、都市の在りようとは‥‥と、えんえんやっていて埒が明かない。次へ踏み出せない。帝政から共和国へと政体も変われば混乱もあったから、積み上げられた議論が次の時代につながっていかなかった、そういう背景を考慮するにしても‥‥。

こういうこだわりが嫌いではない。いや、はっきり言って好きだ。‥‥と、好悪を語っていても仕方がないので、先に進む。

19世紀の半ばまでにはフランス国内各地方に向かう長距離鉄道は開通していて、六つのターミナル駅が市域の周辺部に点在していた。増大する交通量を、もはや乗合馬車や辻馬車では補いきれない。それぞれがばらばらではいくらなんでも不便なことこの上ない。

市の中心部に地下鉄を通してターミナル駅を結びつけ、鉄道運輸システムの合理化を図る。‥‥と、これは誰でも考えそうなこと。現にロンドンに地下鉄が最初に引かれたのは同様の動機からだった。

市の中心部を結ぶ以上「市」が運営するのは当然として、その案は市民の足、市民生活という面から見ていかがなものだろう。パリ市は疑問を投げる。‥‥国家的な鉄道輸送という観点からではなく、市民生活に密着したネットワーク作りとして位置づけるべきではないのか。

そう、ここに古くて新しい「国」対「市」の対立という構図が浮かび上がってくる。百年戦争時、国王と対立したエティエンヌ・マルセルのパリ、ブルボン王家をヴェルサイユに追い払ったフロンドの乱のパリ、プロシアと組んだ「共和国」にノンを突きつけたコミューヌのパリ‥‥。

国家レベルの長距離鉄道がそのまま市の中心部に入り込むことで、市の性格は大きく変わる。‥‥人口は郊外への流出を余儀なくされよう。郊外に勤労者が住み、都心に通勤というロンドン型の都市への変質の要因ともなろう。この流れへの拒否感は強かった。

パリはあくまで職住近接の都市づくりを追求する。‥‥この想いが基本にあった。

そしてもうひとつ、地下のトンネルを蒸気機関車が往き来することに対する健康衛生上の危惧と嫌悪を払拭することもできない。

こうしてパリの地下鉄計画は膠着状況に陥ったのだった。

状況が動いたのは1900年万博を前にしてだった。まず技術面での解決があった。電気機関車の登場で、蒸気機関車の都心地下のトンネンル内走行を回避できることになった。

そして、万博で訪れる客たちをさばくために、「国」は市内の交通ネットワークの必要性を含め、大幅に「市」の意見に耳を傾けざるを得なくなる。いわば、国民より市民のためのメトロというのが基本的な位置付けになる。

ゆくゆく「国」が「市」に乗り入れを図るようなことのないように、「市」はさらに防御策を講じる。左側通行の国鉄に対しメトロは右側通行に。さらに車輛の幅も変え、トンネルもこぶりなものを作る。そのうえで国鉄ターミナルをメトロネットワークの中に加えたのだ。

いや、徹底している。‥‥半ば呆れ、噴きだしながらも、感心する。

都市のグランドデザインを描くというのは、これほどのことなのだ、と‥‥。

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