島の西の端:シテ島往ったり来たり

ポン・ヌフ中央に立つアンリ4世騎馬像の背面にまわり込んでみる。右手にルーヴル、中央に鉄製の芸術橋、左手に学士院のドーム、とセーヌ下流の風景を眺望できる。

そしてすぐ下にくちばしのように低い緑地が突き出ていて、ここが本当のシテ島西端となる。川に接して風光明媚、気候の良いときには日光浴、ピクニックを楽しむ人びとで溢れる緑地は、ヴェール・ギャランと名づけられている。

地名に人名の冠されることは多い、ならばヴェール・ギャランとは果たして何者か。‥‥これがアンリ4世その人なのだ。それもニックネームで、女たらしの意だという。厳かな騎馬像の背後に、「女たらし」緑地‥‥。「愛されているね」、馬上のブルボン家初代王に声を掛けたくなる。

1530年に作られた地図のパリ中心部を掲げたので、ご覧いただきたい。この地図では東が上になっているのでご注意、セーヌは上から下に向けて流れている。

シテ島西端(地図では島の最下部)を見ると、先端に何か小屋のようなものが描かれ、その下の川中に緑色に塗られた花弁のような形の土地2ヵ所ある。ここが島本体に組み込まれてヴェール・ギャラン緑地となり、その接点を横切る形でポン・ヌフは架けられている。

したがって緑地と橋の上ではかなりの高低差がある。上流地域にまとまった雨が降ればセーヌは増水し水位は上がる。どこまで水位は上がるか、そのたび注目されるスポットのひとつでもある。

2016年6月、セーヌ増水

2016年6月初め氾濫ぎりぎりの大増水に見舞われたが、その折の写真を見ると、緑地はすっかり水に覆われている様子がわかる(橋の上から写したもの。右端にアンリ4世騎馬像、左手川の向こうがルーヴル宮)。

緑地と遊覧船の乗り場ともなっている舗道、騎馬像背後の階段を降りて歩いてみると、どう撮っても絵になる光景で、逆に文章家泣かせ、写真家泣かせでもある。日本平から眺める富士山のようなもので、現実の風景にとてもかなわない。

突端に柳の木があり、川面を撫でるように吹き上げてくるそよ風の中で、若い娘が読書をしている。水面を乱反射した光の瞬きと、無造作に束ねたブロンドの髪の輝きが響きあう。‥‥もう印象派の絵画の世界そのものなのだ。

騎馬像の土台に当たる、橋との段差になった壁にふたつのプレートが貼りつけられている。

大きめのベージュ色のものは低めに掲げられていて、これは幾度となく目を通した覚えがある。1572年8月24日、パリはサン・バルテルミの虐殺の舞台となり、数千名の新教徒が犠牲になったと記されている。

フランスの宗教戦争のうちでももっとも凄惨な事件として、世界史の授業で習った方も多いと思うが、これにはアンリ4世も大きくかかわっていた。

当時有力な王位継承権を持つブルボン家のアンリは新教徒(ユグノー)の中心人物であり、ヴァロワ家の王妹マルグリット(王妃マルゴ)との婚礼が用意されていた。

抜き差しならぬ事態から、新旧両教徒の融和を図る狙いもそこには当然あった。支配層にとって結婚と政略は切っても切り離せぬものであるのはいずこも同じ。このまま収まれば歴史の行方も大きく変わっていたかもしれない。

しかし結婚を祝うためパリに集まってきたユグノー貴族を、チャンス到来とカトリック強硬派が襲撃し、その殺戮は市民に及ぶ大事件へと発展した。これが世にいうサン・バルテルミの虐殺。

捕らえられたアンリは強制的にカトリックに改宗させられ、こういう体験が宗教戦争を終わらせる、彼の意思を形成していくことになったのだろう。いずれにせよ、政略と陰謀、酸鼻をきわめる悲劇に彩られ、この結婚は無効であると教皇が認めるほど、アンリとマルグリットの仲は冷え切ったものとなる。

ヴェール・ギャラン緑地からアンリ4世騎馬像を望む

‥‥などと復習する思いで、もうひとつ、階段をのぼる中央上のブロンズ色のプレートを眺める。今回はじめて目についたもので、この場所で1314年3月16日タンプル騎士団最後の総長ジャック・ド・モレーが焚刑にあったと記されている。

アンリ4世の時代からさかのぼることさらに300年、あの伝説的な騎士団の名がここに登場するとは予想もしていなかった‥‥。

十字軍で成功を収め、ということは当時の産業技術経済先進地帯である中近東に対する山賊、海賊、掠奪行為を元手に莫大な富を手にし、その効果的な運用で強大化した、修道士でもあれば戦士でもあった団体。

圧倒的な財力を背景に、キリスト教国の王家を凌ぐ実力を持つにいたった彼らは、脅威を覚えたフランス国王とローマ教皇の共謀で異端とされ、資産は没収され最高幹部は火あぶりにされたという。

その火あぶりの地が、まさにここだったとは‥‥。

ヨーロッパ地中海世界に広く散っていた騎士団は、その弾圧でも根絶やしされることはなく、さまざまな形で生き残り、現在でもその流れを汲む組織や団体はあるという。数多くの作家劇作家の想像力を刺激し、今でも多くの物語に登場する。

真偽のほどは知らないし、それを問題にする気もない。しかし、それでも何世紀を経て、伝説として生き続ける歴史の重みに背筋がふるえる。

あのタンプル騎士団、最後の日を迎えたのがここだった‥‥。しかも幾度となく歩きながら、気づかずにいた。その事実に何より驚く。

いやはや。パリよ、お前ってやつは。

またまたいつものセリフを吐いている‥‥。

アンリ4世騎馬像:シテ島往ったり来たり » 遊歩舎
パリ発祥の地であるシテ島。英語のcityに当たるcitéを名乗るだけあって、発祥にとどまらず地理的宗教的歴史的心理的な中心と位置づけられてきた。 長さざっと1キロ、幅200メートルに過ぎないセーヌの中洲とは言え、今にいた …

返事を書く

CAPTCHA