ジュフロワ、ヴェルドー:ふたつのパサージュ

パサージュ・デ・パノラマからパサージュ・ジュフロワへ

モンマルトル大通り界隈の賑わいをどう表現すればいいだろう。

文字通り世界中から集まってきた人びとの交叉するところ、ここでは足早に通り過ぎる人影をあまり見かけない。特に共通の目的があるわけでもなく、それぞれの時の移ろいを味わっているかのようだ。

ヴァリエテ座とその脇に口を開くパサージュ・デ・パノラマ。これと大通りを挟んで向き合っているのがグレヴァン蠟人形館とパサージュ・ジュフロワで、さらにその奥グランジュ・バトゥリエール街を挟んでパサージュ・ヴェルドーがフォーブール・モンマルトル街までつづいている。

パリに現存する屋根付きアーケード商店街として、18世紀末には開通していた、年代的には最も古い世代のグループに入るパノラマ。それに対して、1840年代半ばに建設されたジュフロワ、ヴェルドー、ふたつのパサージュは最後期のものということになる。

証券取引所(ブルス)から大通りまで伸びたヴィヴィエンヌ街を、さらに北側へと延長するより、ヴィヴィエンヌ街に平行するパサージュ・デ・パノラマからつづく新しいパサージュをと考えられ、決定されたのだという。

突き当たりがホテル・ショパン

イタリアン大通り、モンマルトル大通りとつづくグラン・ブルヴァールの勃興を横目に、この計画は投資家たちにとって魅力的な対象であり、その目論見は見事に当たった。三つのパサージュは天候に左右されぬもっとも長い通路を形作り、第二帝政期を中心に19世紀後半のパサージュ文化を代表する場となったのだ。

人びとが集まり、商業地として受け容れられ活性化を遂げる。商業地が繁華街と呼ばれるまでに繁栄するかどうか。‥‥それを別の言い方に置き換えれば、この地でいかに人びとの欲求は満たされ欲望は解放されたか、ということになるだろう。

雨が降ろうが雪が降ろうが雷が落ちようが快適に往き来できる、食欲を刺激するものが用意されている、落ち着いてお喋りできる、好奇心を満足させる品物がならぶ、高揚感を覚える見世物がある、装う欲、演ずる欲、見る欲、見られる欲、出会いの欲。限りない欲望をいかに満たし、解放し、そしてさらなる欲望を搔き立てていくのか‥‥。

その一端を教えてくれるのが鹿島茂『パリ、娼婦の街』で、七月王政から第二帝政にかけての時代、私娼たちが「売春の聖地」として選定したのがこの三つのパサージュ、なかでもこぎれいなブティックの多いジュフロワは好まれた、とある。

三つのパサージュの北側にあたるモンマルトルの麓は、当時パリ周縁部の再開発地域として新しい建物が多く建てられ、ここに「ロレット」と呼ばれる若い私娼や妾が多く住みついた(中でも現在のアンリ・モニエ街、旧ブレダ街は有名)。

ロレットたちは、「お仕事」にあたってパリ最大の繁華街となったグラン・ブルヴァールへと降りてくるわけだが、それと交差するパサージュは通勤経路にあたると同時に、業務地の延長でもあった。

パサージュにはショウウィンドウを眺めたり、本屋の店先で立ち読みしたり、特にこれといった目的も持たずに時を過ごすフラヌール(遊歩者)と呼ばれる暇人をはじめ、商品より娼婦を選ぶことを主目的とする男たちも少なくなかった。

この時代のパサージュ文化の核心が伝わってくるようだ。

そんな歴史を頭の片隅において現在のグラン・ブルヴァール、モンマルトル大通りからジュフロワに入ってみよう。ひとりのフラヌールとして。‥‥パサージュは雨降り、それも夕刻の火灯し頃がよく似合う。

気分までいくぶん湿っぽくなった身が、時を経て丸みを帯びた空間の柔らかさに包まれ、いつしかほぐれてくる。パリ土産を求める観光客、おのぼりさんが思わず覗き込んでしまいたくなるショウウィンドウ、洋品店や小物雑貨、ビスケットやボンボンの缶などの並ぶ商店街を進むと、突き当たりにドアの開いているのが、ホテル・ショパン。

パサージュ中ほど、蠟人形館のすぐ隣に入り口を持つ、こんなホテルに逗留したらどうだろう。何をするでもなく、幾日かぼんやり過ごしたら、この街を眺める別の視点を持てるようになるかもしれない。そう感じながら、残念ながらいまだにその機会に恵まれない。

このパサージュの特徴は、ここでクランク状に曲がり、その部分が階段になっていること。短い階段をゆっくり折れると、空気の重みまで変わるようだ。この階段下からヴェルドーまで、頭の中に刷り込まれたパサージュのイメージがもっともよく残っている。

古本、古切手、古絵葉書、コイン、骨董品、画廊、小さなカフェが夕暮れ間近の淡い光と灯されたばかりのライトの列に、ぼうっと浮かび上がる。天井近く掲げられた、動いているのか止まっているのか分からぬ大時計も絵になる。

フランス文学研究者や翻訳者のエッセー類などに目を通していると、ヴェルドーの古本屋で貴重なものを手に入れたというような記述をしばしば目にする。そんなエピソードのよく似合う一角でもある。

‥‥華やかな時代の記憶を刻み込ませながら、ゆるやかなまどろみのうちに‥‥。ステレオタイプな想いであることは認める。それでもベンヤミン以来、パサージュはそのようなものとして意識されつづけてきた。現在、その想いをわずかながらであれ感じ取れる貴重な場であることは間違いない。

パリの街の中央部にうがたれた通路、百数十年、二百年を経たアーケード商店街は、いま再び脚光を浴びている。

当然ながら、いま目にしているたたずまいも姿を変えていくだろう。日々変えているその現場、その過程に立ち会っているという方が正確かもしれない。「生」とは変化の過程そのものを意味するなら、パサージュはまさしく生きているのだと感じる。

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