壁抜け男:マルセル・エイメ広場

モンマルトルの丘、テルトル広場の賑わいを背にノルヴァン街をぶらぶら歩いてくると、今まさに壁を駆け抜けて出てこようとする男の像が目に飛び込んで来る。

その名もマルセル・エイメ広場。彼の短編小説の登場人物が、この壁抜け男。意表を衝く出現ぶりが、道ゆく人びとの好奇心をそそり、微笑みを誘う。その左手の輝きが、いかに多くとの触れ合いがあったかを如実に物語る。

もっとも、この男の物語について実際にはあまり知られていないのではないか。

目立たぬ小役人がある日ふと自分の能力に気づく。なんの障害も抵抗も感じることなく壁を通り抜けられることを。

最初は気に留めてもいなかった特性が、ただならぬものであることに思いいたると、どうしたって特別な能力を使ってみたくなるのは人情。そしていつの間にか、使っていたつもりの能力に自分の方が振り回されていく‥‥。

マルセル・エイメの世界では、登場人物に突拍子もない力が付与され、ありえない事態の起こることが多い。それも日常のつましい風景の中で当たり前に。いわば剝き出しの非日常が日常に突き出てくる。

日常は一瞬、揺らぐかに見える。しかし、結局のところ再び日常に回収されてしまう。一瞬揺らいだことで、ますます堅牢さを増したかのような日常に。

そういうものかもしれない。いや、そういうものなのだろう。

それはそれで納得しながら、トンネルばかりの汽車旅のような、生焼けのアップルパイを食べているような、どこか充ち足りぬ想いにとらわれる。

物語の展開が設定の大きさに比べて小ぶりというか、入り口ばかり大きくすぐに出口に行き着く見世物小屋というか、仕掛けだけが放り出されているというか。ええっ、これで終わりなの。なんとも言えない「取り残され感」に付きまとわれる。

それがエイメの狙いだと言われれば、彼の目論見は成功している。作家のサーヴィスに過剰に依存する読者を突き放し、読者の想像力を活性化させる教育的意図が働いているとも言える。

もしかしてエイメというこの作家、とんでもない設定を思いつくたび会心の笑みを浮かべ、次の瞬間には急速に興味を失ってしまう、そんなタイプなのではあるまいか。物語を読者に押し付けるや姿を消してしまう。読者としては戸惑いつつたたずむしかない。

自分の作った設定から逃げ出そうとする。しかし、いつの日にか自分の吐き出した設定にとらわれる。物語はもはや、設定からの無事解放を用意してはくれなくなる。

壁抜け男の像、それはエイメ自身。あたかも、ここはマルセル・エイメ広場なのだ。

そんなことを考えていると、像を囲む若者たちから一斉に歓声があがった。低空飛行をしてきた鳩のフンが像の頭に見事、命中したのだった。

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