グラン・ブルヴァール、モンマルトル大通りはヴァリエテ座のすぐ横に口を開いたパサージュ・デ・パノラマ。カフェやビストロのテーブル席が通路まで並び、ふらり気軽に立ち寄りたくなる雰囲気のパサージュも、20~30年前にはさびれ果てていた。
借り手がいないのか閉じられたままの店も多く、歯抜け状態で開いた店舗は古切手やコインを扱う店、インドシナ系の安食堂、廉価な装身具中心の古物商、埃っぽいカフェなどで、いずれもあまり客の姿を見かけなかった。
複数に枝分かれして、交叉する複雑な構造をしているだけ、余計に忘れ去られたわびしさが漂っていた。それはそれで嫌いではなかったけれど、賑わいはやはり気持ちをあたたかなものにする。それも道幅の狭さとあいまって庶民的な横丁を形作っているとなれば、なおさらのこと。
名古屋の円頓寺商店街と姉妹提携したというほど、今や日本と関係が深く、日本人の経営、活躍する店舗もあるから、往き来する日本人の姿も多く見掛けるようになり、いっそう親近感を覚えるパサージュとなった。
1799年開業というから、かろうじてではあるけれど18世紀生まれ、パリの現役屋根付きパサージュとして最古参の部類に入る。当然ながら栄枯盛衰を体験してきた。なにしろナポレオンが幅を利かせた時代を体験しているくらいのキャリアなのだ。

そもそもこのパサージュの名、パノラマというのがなんともノスタルジックな響きを持つ見世物。筆者にしたところで、江戸川乱歩を愛読し、たまたま浅草で再現されているものを見なければ、知らずに過ごしたかもしれない。
円筒形の施設内側の壁面いっぱいに遠景を描き、その手前にミニチュアなど小物を配する。円筒形中央から周囲を見回すと三百六十度、広大な光景の広がりを体感できるというもの。
直径14メートル、高さ7メートルのパノラマ館が大通り沿いに2棟並び、その真ん中にパサージュの出入り口が設けられた。
いわば、はじめにパノラマありき。この興行施設へ導くための連絡通路としてパサージュは作られた。大都市、観光地、歴史的戦場などが一望できる設備。コンピュータグラフィックなど発展した現在から見れば他愛ないものだが、なにせナポレオンの時代のこと。物見高い紳士淑女が集まり、一時は大いに隆盛したものらしい。
そして、この見世物がすたれパノラマ館の撤去された1830年以後もパサージュは残り、純粋にパサージュとしての繁栄、発展を遂げていく。‥‥なんと言っても立地が幸いした。
大きな流れとして、盛り場がパレ・ロワイヤルからグラン・ブルヴァールに移ってきていたことがある。国王の座のころがりこんできた傍流オルレアン家ルイ・フィリップは、代々の邸宅であるパレ・ロワイヤルの、一般に開放されていた庭園と商店街部分の風紀向上を目指す。具体的には賭博と売春の取り締まり。
となれば、遊び人、娼婦、冷やかし、暇つぶし、散歩、息抜き、飲食、お喋り、‥‥パレ・ロワイヤルに集まっていた人びとは新たな溜まり場を目指す。または作り出す。
衣食足りて礼節を知る、とはいうけれど、最低限の物質的欲求の満たされたのちに知るのは、新たなる欲望の発掘、欲望の発見なのではあるまいか。もちろんそれはさまざまな形、さまざまな表情を持つ。礼節も欲望のひとつの表れと言うなら、それはそれで納得できる気にはなるとしても。
ともかく、ひとは欲望し欲情する。ひととひとの視線が絡み合い、ことばが交わされ、互いを感じ取れる場。欲望の見出される場。パノラマのパサージュはその流れに乗った。彼らの行き交い、立ち止まり、出会う、新たな場となった。
証券取引所が近くにオープンしたのも大きかった。金融の中心には、新しい時代のビジネス、マネー、情報、チャンスが集まる。これはまた別の形での欲望を表現した。
さらにヴァリエテ座。ここには伝説的な名優、フレデリック・ルメートルが出演するなど話題を集め、観客にもドラクロワ、ジョルジュ・サンドをはじめ、有名人が集まってくる。これもまた、ひとつの大きな欲望を具現化していた。
第二帝政期のパリを活写したエミール・ゾラの作品に、20篇の小説群からなるルーゴン=マッカール叢書がある。その一篇「ナナ」のヒロインは、ここヴァリエテ座の女優で、彼女目当てのパトロン志望の男たちが楽屋につながる出入り口で待つシーンがある。
楽屋出入り口のある通路は、このパサージュから枝分かれした一本。宮下志朗「パリ歴史探偵術」には1881年に刊行された「ナナ」の挿絵が示され、このあたりの光景は今にいたるも基本的に変わっていないことが分かる。
権勢と富を手にした上流階級の男が、チャーミングな舞台女優、コケットリーだけを武器にのし上がってきた小娘を口説こうと、パサージュの一角でひとり胸をふるわせている。
まさに欲望のロイヤルストレートフラッシュ、欲望の国士無双、欲望の一打逆転満塁ホームラン‥‥。そんな欲望を呼び込む幸運、もてあそぶ強運が、このパサージュにはあった。
手放しの繁栄、全盛期のあったぶん20世紀になってからの凋落ぶりは、いっそう見るに耐えないものがあった、と書かれているガイドブックを読んだ覚えがある。
凋落の理由として、近くにオープンしたパサージュ、ギャルリ・ヴィヴィエンヌ、ギャルリ・コルベールと、さらにハイセンスでゆったりした空間を提供するライバルに徐々に客を取られていった。
アーケード商店街という形態自体がデパートの出現によって古いものとなり、人びとは移っていった。‥‥など、いろいろ理由はあげられ、いちいちもっともと頷かされはする。
頷かされはするけれど、正直なところ充分に納得しているわけではない。誤解を恐れずにいうなら、繁華街だったところが急激に閑古鳥の鳴くさびれようを示す、多くの原因は考えられても、特にこれといった、絶対的な理由など本当はないのではないか。
特に理由などなく、昨日と同じようにそこにあるものに人は飽きる。そして、ある日特に理由などなく、昨日と同じようにたたずむ姿を人は見出し再発見し、新しい魅力を覚える。
欲望とはそういうもの、としか言いようがないのではあるまいか。
パサージュ中ほど、歴史的建造物のステッカーが貼られているのは、19世紀半ば以来名刺の印刷で定評のあった印刷所ステルン。当時のままに保存された一角とヴァリエテ座楽屋出入り口への交差点にたたずむとき、ぼんやりそんな想いが脳裏をよぎる。