ラマルティーヌの井戸

パリ16区、有数の高級住宅街ヴィクトル・ユゴー大通りとアンリ・マルタン大通りの合流するあたり、ふたつの大通りに挟まれて細長いラマルティーヌ小公園がある。

適当な訳を思いつかないので小公園としておいたが、原語はsquareで英語由来の言葉だそう。広場place、公園parc、庭園jardin、それぞれ微妙にニュアンスが違う。街角の柵に囲われた小緑地、花壇だったり児童公園だったりする場を想像していただければいい。

強い夏の陽射しのもと、枝いっぱいの葉をそよがせるように吹き抜ける風が心地いい。ベンチに腰掛け、昼下がりのひとときを送る。ペット類出入り禁止の柵内では、子どもたちが伸び伸びと遊んでいる。

この地が気になっていたのは、パリの都市化と飲料水についての文献に、セーヌをはじめ河川から引かれるもの、ヴィシーなど遠隔地からもたらされるミネラルウォーター類、さらに少量ではあるけれど井戸水があげてあり、その代表格として掲げられていた井戸の所在地だったからだ。

ヴィクトル・ユゴー大通りに面して通りからも分かる。水揚げ装置を覆うように積み上げられた白色の石ブロックに蛇口が並び、パリ市の水質保証書も掲示されている。ひんやり冷たい水を両手で掬い、ひと口ふた口。ペットボトルを何本も用意してやってくる人もいる。

1855年に掘られ、地下587メートルから汲み出されているとの掲示。19世紀半ば、パリ近郊ののどかな村里ながら、すぐ近くブーローニュの森の開発整備が本格化していた時代にあたる。

高品質の水資源は、都市化の命綱と言ってもいい。現役とは言え上水道の完備した現在は一日あたり350立方メートルに過ぎないが、当時は2万5000立方メートルの流量だったという。

‥‥19世紀半ばに掘られた井戸が現役として働いている。そこを見たいという理由の他に、実はもうひとつ気になっていたことがある。

それは、ずばりラマルティーヌ。フランスのロマン主義について少しでも興味を抱いたなら、必ず目にする名。1948年の二月革命前後に活躍した政治リーダーとしても必ず目にする名だ。

略歴に触れると、1790年ブルゴーニュ地方、マコンの貴族に生まれたロマン派の代表的詩人。1830年七月革命から政治活動、1833年には代議士。王党派と社会主義派の中間に位置し、1848年二月革命後、穏健共和派として第二共和政を主導。12月の大統領選で敗北。1851年、ルイ・ナポレオンのクーデタを機に政界引退とある。

白水社『フランス文学史』によれば、1820年の「瞑想詩集」はロマン主義詩の最初の傑作として文学史上の一大事件となったとあり、憂愁、悲哀、倦怠、絶望、死へのあこがれなど真摯な苦悩を、流麗な音楽的旋律に乗せて率直に吐露したところに新鮮な抒情性がある、のだそうだ。

残念ながら手にしたことはない。政治リーダーとして何を発信していたのかもよく理解していない。歴史的な位置づけについても。せいぜい、フランスの国旗が現在よく知られる三色旗となる過程で、彼の演説が大きな役割を果たしたというエピソードくらい。

二月革命時、昂揚した労働者が赤旗を振りかざしているのを見て、1789年の大革命以来、三色旗の果たしてきた役割とその独自性を説いたという。王党派の白旗でも労働者の赤旗でもなく、といってどちらも排除しない三色旗。そこに彼の姿勢を見出す気になる‥‥。

そもそもロマン主義とは何だったのか、あるいは何であるのか、総体として見極められず、もがきつづける身には、気にはなっても相変わらず遠い存在であるのは疑いない。

ただ、どうしてもヴィクトル・ユゴーと対比してみたくなる誘惑に勝てない。同じ時代を生き、ロマン主義文学者として並び称され、政治家としての立ち位置も類似していた以上。

伯父にあたる大ナポレオンの放つカリスマ性を背景に、1851年ルイ・ナポレオンがクーデタを起こすや、それを意地でも認めるわけにいかぬユゴーは亡命を決意する。この亡命生活の過程で民衆派へと軸足を移していき、旺盛な創作活動によって声望を築きあげていく。

一方、あっさり政界から引退したラマルティーヌはいつしか忘れ去られ、不遇と困窮のうちに息を引き取ったのがこの小公園の近くだったという。1869年のことだったから、ここの井戸の水で喉を潤すことはあっただろう。しかしルイ・ナポレオンの失脚と帝政の瓦解を目のあたりにすることは遂になかった。

ユゴーが帝政瓦解後、共和主義の精神的支柱、国民的英雄として第三共和制に迎えられ、まつりあげられていくのとは対照的に。

そして‥‥。ささやかなラマルティーヌ小公園は、ヴィクトル・ユゴーを冠する大通りのはたに位置する。

木陰を気持ちいい風が吹き抜ける。やっと歩き始めたばかりの子どもたちは、大人の手をはなれると、思い思いの方向に散らばる。

バカンス期間にあたっているせいだろうか。ウィークデーにもかかわらず、街はまどろみのうちにあるように感じられた。