ゴルボー屋敷:「レ・ミゼラブル」のパリ

イタリー広場のカフェにて

追われることを宿命づけられる。それも幼い子どもづれの壮年男として。‥‥人里離れたジャングルか離れ小島という選択肢が現実的でないなら、人びとの海にまぎれ匿名の存在として生きる。誰もが考えつくのはその辺だろう。

1815年から1832年、19世紀はじめ、王政復古期から七月革命前後にかけてのフランスであるなら、条件にもっとも合うのはどこか。

人びとの海という規模を考えれば、やはりパリがまず第一の候補だろう。コゼットを引き取ったジャン・ヴァルジャンが流れるように落ち着いたのもパリ、それも現在のイタリー広場に近い界隈だった。

当時のパリは現在より一回りも二回りも小ぶりの市域で《徴税請負人の壁》が境界だった。これはメトロ2号線6号線の通るブルヴァールになっているから、この環状大通りの内側がパリ市内だったことになる。

現在13区の区役所のあるイタリー広場は、市域の境界に位置していて市門のひとつがあったところ。この壁は防衛・治安上というより税収のためという色彩が強く、市門では入市関税が徴収されていた。

逆に言えば市門を一歩外に出さえすれば、税のかからぬ分、安く酒も食い物も手に入る。安く提供できるとなれば、そういう店が出来るし、それ目当ての客も集まってくる。これがさまざまな物語の舞台となる《関の酒場》で、パリ周縁部に吹き出物のように散在する小さな歓楽街を形作っていた。

客のフトコロを狙うチンピラから遊び人、娼婦たちも集まる、誘惑と犯罪が隣り合わせの場であった。こうした場末のいかがわしさは、中心部に横たわる貧民街のいかがわしさと対応し合うものでもあっただろう。

追われる者、という烙印のいかがわしさはこの場で溶け出し、特別な属性とは映らなくなる。

とりわけパリ南東部に位置するこの市門を入って広がるうらぶれた光景には、独特のものがあったという。起伏の富んだ地にはセーヌに流れ込むビエーヴル川が流れ、風車がまわりゴブラン織りの工場の立つ牧歌的な田園光景の残る一方、貧しいなめし革業者や染色業者の作業場が並び、耐えがたい臭気を発していた。

サルペトリエール病院の門

ジャン・ヴァルジャンとコゼットの隠れ住んだゴルボー屋敷は、イタリー広場に近いロピタル大通り沿いにあたる。ロピタル、つまりサルペトリエール施療院はじめ病院から名付けられたのだろうが、この一帯には病院だけでなく、馬市場や監獄、刑場など陰気な建造物と広大な施設が点在していた。

病院といっても現代のわれわれの抱く、病気をなおすところというイメージからははるかに遠い。むしろ、行き場を失った病人の収容施設とでもいった方が理解しやすい。実際19世紀の小説を読んでいると、病院送りは監獄送りと同様、最後に運びこまれる恐怖の場所として描かれることが多い。

住宅地にしては人影もなく、荒涼とした場所なのに住む人がいる。大都会の大通り、パリの通りにはちがいないが、夜は森よりも凄みがあり、昼は墓よりも陰気なところだった。

場末の光景をユゴーはこう説明し、ゴルボー屋敷については、

一見したところ農家のように小さく見えるのだが、じつは大聖堂みたいに大きかった。そのあばら屋(‥‥)の全容はほとんど表から隠されていた。(引用箇所、共に西永良成・訳)

と描写する。背景といいたたずまいといい、この物語にとって恰好の屋敷は、後にはマリユス青年とテナルディエ一家が互いにそうとは知らず隣同士で暮らす場としても登場する。逃亡、隠棲、落魄のシンボルとでもいうように。

こういう、たまたまの重なり、偶然の繰り返しは不自然に感じられ、違和感を禁じ得ないのは確かだ。‥‥しかし、それはリアリティ重視の小説という形式、作法への慣れから来る不満なのだと思いなおしてみる。

小説以前の文芸にとって主流だった劇作という視点から眺めると、これほど魅力的、効果的な舞台設定もそうそうない。劇作と小説と。ユゴーの作家としての揺らぎをここに感じると言うと、大袈裟に聞こえるだろうか。

話を街に戻そう。‥‥中世都市の面影を色濃く残した当時と比べて、もっとも大きな変貌を遂げたのは、パリ中央部の人口過密地帯と並んでこういう外縁部かもしれない。ビエーヴル川は暗渠となり、田園光景も町工場も馬市馬も消え、多くは住宅街となった。

かつて市域外だったところに登場した高層住宅群に、現在では大きな中国人街が出現し、アジア系食品のスーパーマーケットやレストランが立ち並ぶ。

馬市場袋小路。現在に残る地名

イタリー広場は整備され、バスとメトロ交通の要衝となり、充実した商業施設、文化施設が軒を並べ、現代的な繁華街としての機能をととのえたスポットになっている。

それでもゴブラン織りの巨大な博物館は丘の上にそびえ、かつてと機能を変えて建て直されたサルペトリエール病院も、広い敷地を構えている。ビエーヴル川の名残を示す公園もある。地名に残され、今に伝わる場所もある。

丹念に歩きまわれば、そこここに痕跡を見出せる。

ジャン・ヴァルジャンが歩きまわった時代から200年という歳月を思うと、東京という街に生まれ育った目には、むしろ穏やかな変容と変貌を遂げていると映るほど‥‥。

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