泉ということばには、生きとし生けるもの、その生命の源である「水」への想いが込められている。イノサンの泉の見てきた光景が、必ずしも安らぎや喜びばかりではなかったとしても‥‥。
何本ものメトロと郊外線の接続する乗り換え駅と、レ・アルのショッピング・センターに接し、シャトレやポンピドゥセンターにも近いここに雑踏は尽きることなく、密集した飲食店に人影の絶えることもない。
ビジネスマンから観光客、遊び人から買い物客、豊かな老夫婦から悪童連中まで入り混じる盛り場。そんな街並みを背景にした広場と泉そのものが奇跡的なものに映る。
19世紀半ばのこの街区を舞台にしたエミール・ゾラの小説「パリの胃袋」では、次のように描写されている。
ところどころに円形花壇のある芝生の真ん中に、水面を揺らしながら泉が流れていた。灰色の石のなかにジャン・グージョン作の真っ白なニンフたちの像がそれぞれの壺を傾けて、サン=ドニ地区の黒っぽい空気に優雅な裸体美をさらしている。(朝比奈弘治・訳)
花壇と芝生の中央、とあるから現在よりいくぶん牧歌的な表情を宿していたかもしれない。それにしても泉そのものにあまり変化はないようだ。フランス・ルネッサンスを代表するというジャン・グージョンのレリーフも、写真で確認していただけると思う。
この時代、19世紀からさらにさかのぼると、かつてここは墓地だった。
イノサン、つまり無辜なる民を意味する名の墓地は、パリがまだまだ小規模な市域しか持たぬ頃、その域外に作られた。それが域内に取り込まれたのは1200年前後に建設されたフィリップ・オーギュストの壁によってだった。
1200年前後と言えば、日本では鎌倉幕府成立の頃だから、江戸の町など影も形もない。古代都市から中世都市へ次第次第に膨れ上がったパリは、近世に入ってからは急速に肥え太る。市域のはずれだった場所はいつしか繁華な街の中央に位置することになる。
死生観や衛生観念、臭気などの肉体感覚や感受性が現代と異なるとは言え、もちろん火葬などしない、共同埋葬で溝に並べられた遺体がある程度の数になると薄く土で覆う、そんな遣り方だったからたまらない。
ましてペストはじめ深刻な伝染病がしばしばこの都市を襲う。処理しきれぬ遺体の山が腐乱していく光景、そこに群らがる小動物たち、臭気のすさまじさはいかばかりのものだったことだろう。しかも、それが巨大な食品市場(レ・アル)と隣り合わせにあったのだ。
12世紀の小麦小売市場に端を発する食品市場は、市民の胃袋、その旺盛な食欲と生命力につながる活況を呈していた。いわば生と死の狂躁が、比喩としてではなく、ここでは直接的に隣り合っていた。まさしく劇的空間とでも呼べる場だったことになる。
そして、こと悪臭という次元では、生の狂躁を示す場も負けず劣らずの激しさだった。市場イコール露天の肉類腑分けの場をも意味していたし、新鮮な食品、農産物、畜産物から魚介類にいたるまで、冷蔵保存技術の望めぬ時代には、いつでも腐臭の発生源へと変わり得た。
16世紀の半ば以降、閉鎖、移転はたびたび話題に上がりながら、実際に墓地が閉鎖されたのは1780年になってから。1780年といえば、すでに大革命前夜。啓蒙の世紀と謳われ、かのヴォルテールやルソーの思想が熱く語られている時代、まだまだ足許は地表にさらされた人骨と悪臭の吹き溜まりだったわけだ。
このとき収容された人骨は200万体分に及び、それが移され保存されたのがダンフェール・ロシュローのカタコンブなのだという。ちなみに、食品市場が移されたのは1960年代になってから。巨大な商業空間の景観も大きく変わった。
イノサンの泉はその変転を何百年にもわたって見つづけてきたことになる。
週末の宵をはじめ、クリスマスや祝祭日の重なるとき、かつて祖先たちの眠っていた場所に、さらに多くの人びとが繰り出す。辻々から音楽が流れ、酔客たちの笑い声が聞こえてくる。さまざまな人種、老若男女の混ざり合い。
イノサンの泉は、いつもそこにある。

広場のすぐ南、フェロンヌリ街は墓所の壁に接していた通りで、1610年5月14日、ここで国王アンリ4世は暗殺された。ブルボン王家初代のアンリ4世は、江戸幕府開設した徳川家康と同時代人。11番地の飲食店店先の敷石に彫り込まれている。
当時ここの道幅は4メートルに満たず、壁沿いに屋台の店々が並び、いっそう狭くなっているところに荷馬車同士の接触事故があり、国王の乗る四輪馬車は一時停止を余儀なくされた。暗殺者はこのチャンスを逃さず、馬車に乗り込み刺殺したと歴史表示板にある。
国王殺しのラヴェイヤックは、宗教戦争の終結に危機感を持つカトリック狂信者で、市庁舎前グレーヴ広場で極刑に処された。四肢を引きちぎられ、その傷口に煮えたぎった鉛と松脂、硫黄を加えたものが流し込まれたという。
このときも、何事もなかったかのように眠る死者たちの場で、泉は水を溢れさせていたのだろうか。
見上げたイノサンの泉は、西陽を受けてきらめいていた。