ギャルリ・ヴェロ・ドダ:パサージュめぐり

メトロの最寄り駅ならパレ・ロワイヤルかルーヴル・リヴォリ。パサージュ、ギャルリ・ヴェロ・ドダはブロワ街2番地とジャン・ジャック・ルソー街19番地を結ぶ。

白と黒、市松模様の石の床に一歩踏み込むと、外部世界と切り離されたようにひろがる光景に息を呑む。100メートルに満たぬ通路は、通路と呼ぶより重厚な邸宅または宮殿の廊下と表現したくなる。

鏡、ドア、ショウウィンドウ、天井窓、いずれも硝子が多用され、木製の桟は金属で縁取りされている。射し込む淡い陽光は、等間隔に差し出された円いライトの光と柔らかに混ざり合う。

ここには19世紀、市民の繁栄が形象化され、化石となってそのまま息をひそめている。

1826年、成功した2人の商人ヴェロ氏とドダ氏が新たな投資対象として建設したのが、このショッピング・アーケード街だった。少し雨が降ればぬかるみとなって、とても歩きまわれる状態になかったパリの街に現れたアーケード街、それは新しい時代の商業空間の先駆けでもあった。

パリの胃袋として知られる巨大な食品市場レ・アルをひかえた活気溢れる街区と、当時第一の繁華街だったパレ・ロワイヤルをつなぐ近道として。

また周辺には国内各地に向かう乗合馬車の会社、乗り場が集まっていたから、旅立つ者が旅装をととのえ腹ごしらえする、出迎える者が到着を待つ、出会いと別れの場として。

目端の利く2人の投資家はシックでお洒落なパサージュを作り、大当たりとなった。時は復古王政期から七月王政期。買い物を楽しみ、国内を旅するブルジョワ階級の勃興を背景に。

単なる通路パサージュではなく、洒落た商品の展示されているギャルリを名乗ったところからも、商才に富んだ創設者の心意気が伝わってくる。さらに、忘れてならないのは‥‥。

七月王政期の言論界をリードした、シャルル・フィリポンの諷刺新聞「シャリヴァリ」の印刷と発行を引き受け、新聞に掲載された版画を展示・販売していたオベールの店舗もここにあったこと。

パレ・ロワイヤル側出入り口のあるブロワ街に面して、大きなウィンドウには世相に大きく切り込んだ諷刺画が並べられた。近代ジャーナリズムを牽引した鬼才ドーミエのものをはじめ、大きな人だかりが出来たという。

交通の要衝、モードと情報のひとつの発信源として、華々しい地位を占めたのがこのパサージュだったことになる。

産業社会の進展がこの地位を与え、しかし一層の進展はその地位を奪っていく。歴史の皮肉はこんなところに現れる。

馬車から鉄道へ。乗合馬車の時代は去る。

当代一の盛り場もパレ・ロワイヤルから、グラン・ブルヴァールへと移っていく。

それと共にギャルリ・ヴェロ・ドダは次第に眠りに入る。‥‥活気ある大衆的な場所であることをやめ、限られた常連の利用する、ある意味で選ばれた、ある意味で忘れ去られた場へ‥‥。

個人的な体験を語ると、1990年代にはじめて訪れ、通り抜けた。その頃は現在よりもっと寂れていた。天井の硝子はもっと緑がかった、旧い時代に作られた壜の色だった。

他の通行人と擦れ違うことは滅多になかったし、何十年も動かぬ空気が滞(とどこお)り、それに合わせて時間も滞っているように思われた。明けきることも暮れきることもない世界。

中ほどにアンティーク・ドールの店があって、無造作に積み重ねられた少女たちは生まれて何百歳になるのか、ウィンドウ越しに生まれたての笑みを凍えさせていた。常連カトリーヌ・ドヌーヴの写った写真がドアに貼ってあった。

いつの時代のものかわからぬほど古い小さな活版印刷機が店の中央に据えられていたのは、名刺やカードの印刷専門店だったのだと思う。見本に並ぶ名刺は、金で型押しした紋章が入っていたり、縁に細かな細工のほどこされているものだったり。

それらの店はいつの間にかなくなり、明るくなった店内にファッション小物やバッグを扱うところが目につくようになった。再びここは別の性格を持とうとしている。いや、すでに持っているのかもしれない。

19世紀から21世紀へ、パサージュの時間は降り積もっている。そして、そこを通り過ぎていく個人の時間。個々人の時間の記憶が綯(な)い合わされていく。ここではいくつもの時間が少しずつ重なり合っている。

ゆっくり通り抜けるたび、その想いをあらたにする。

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