
改めてパリのガイドブックをめくっていると、「現存する一番古い家屋がモンモランシー街にある」という文字が目に飛び込んできた。ニコラ・フラメルという中世の錬金術師の家だという。
「錬金術」という妖しげな響きに惹かれて、メトロに飛び乗る。オテル・ド・ヴィル(パリ市庁舎)駅で降り、カフェや小さなブティックが集まるタンプル通りを足早に歩いて左折、モンモランシー街に入る。オスマンの都市計画を逃れたマレ地区の一画、人通りもさほど多くない古い路地。
51番地を探しながら進む。ごみ収集日なのか、狭い歩道にパリ市指定緑色の大きなゴミ箱が点々とおかれているのが目につく。路地の前方に数人の人、目の前の建物をじっと見上げている。はやる気持ちが先走り、足をゴミ箱に取られてつんのめる。
石造りの4階建ては横から見るとわずかに「く」の字に曲がり、一階のずんぐりした石柱が支えている。明らかに周りとは違う雰囲気。
正面に彫り込まれた文字と文様が、何百年の風雨に晒され丸身を帯びている。文様は摩滅気味だが、文字はゴシック体の彫りが深くはっきりと見てとれる。
壁に案内のプレートが貼られ、「ニコラ・フラメルとその妻の家」とある。
パリ市が設置した歴史案内板などによると、彼は代書、写本などをする出版を生業として財を築き、多くの慈善事業や寄付を行った。1407年に建てられたこの家には貧窮者を無料で宿泊させたという。
また、彼は「賢者の石」を追い求め、卑金属を金に変え、人間を不老不死にする術を探究した錬金術師だという伝説があるとも。
ここから歩いて10分ほど、パリの中心部にあるサン・ジャック塔にも彼の伝説は残る。今は、教会の鐘楼だった塔のみが立っているが、とり壊された教会の正面玄関を寄贈したのは彼だという。
それにちなんで、サン・ジャック塔の真下に彼と彼の妻の名ペルネルを冠した通りがある。短く小さな2本の通りは交差して十字架型に見える。
錬金術師‥‥怪しげな実験に勤しみ胡散臭い魔術を使い、大ぼらを吹く。そのくせ案外自然科学の礎を築くような成果をあげたりもして私たちをかどわかす。当時はなんでも叶えられる万能の人、場合によっては巨万の富も得られる人と見なされていたのかもしれない。生真面目さとハッタリでありえない夢を見させてくれる存在として、いつの時代の人たちもその謎多い存在にワクワクし引き込まれてしまうのだろう。
中世、科学も迷信も、真っ当もまやかしも、すべてがまだ分離していないごった煮の時代。だからこそ奔放な想像力を働かせることを許される自由空間。そっと好きなだけ遊べる秘密めいた場所として私たちはその宇宙にはまり込んでいく。
この界隈を闊歩する彼の気配、息づかいが時空を超えて匂い立ってくるようだ。
それにしても驚いたのは、フラメルの家は重要文化財的建築物でありながら、1、2階は今でも普通のレストラン、上階は住居として使われていること。4階の窓辺にレモンの鉢植えの木が置かれ、黄色い実がひとつ、青空に映えていた。
真夏日のパリ、後ろから近づくニコラ・フラメルの足音が聴こえた気がした。振り向くと、店前に大きなゴミ箱があった。