農業祭の季節

花屋の店先に黄色いミモザが並ぶ。

日ごと2~3分日照時間が増し、夜長の寒い季節が終わろうとしている。硬く閉ざしたものがほどけ息を吹き返す。生命活動を再始動する季節、春は近い。

例年なら農業祭の時期だ。国を挙げての祭り、「農業国際見本市」がパリで開かれる。食料自給率120パーセントを超える農業大国、フランスの一大イヴェント。

毎年今頃になると、大写しにされた牛のポスターをよく目にする。農業祭の大判ポスターだ。メトロ駅構内にも所狭しと貼られ、通行人の視線の先に牛、牛、牛、しつこいほどアピールして私たちを改札口まで導いてくれる。

会期は2月下旬から3月の頭にかけて9日間ほど。昨年は一日9万人の人で賑わい、総入場者数70万人に上った。

出展者はフランス本土と海外領、そのほか世界各国から。

六角形の国土の半分あまりが農地であるフランス。気候風土に恵まれ各地方に豊かな文化が根付いている。また、大洋に点在するマルティニーク、タヒチなどの海外領フランス、元植民地だったアフリカ諸国、それらはそれぞれ独特の文化を持つ。

世界各地から結集する参加者たちは、鼻息荒くパリの会場に乗り込んでくる。本土との過去の歴史も垣間見え、フランスを知るにはどうしても見逃せない催しだ。

祭りの趣旨は、農林水産業の従事者が各部門の取り組みを体系的に紹介し、品質を競い合い、いっそうの向上を目指す、というもの。家畜の品評会、チーズ、ワインなどの食品コンクールの審査も行われ、優れたものに賞が与えられる。

農業機関、学術団体も参加、遺伝子組み換え禁止、野菜・穀物の在来種種子保存、家畜の在来種保存など国の政策を掲げる。食の安全への取り組みだ。

同時に、農薬使用や環境汚染、経営難などの問題点も指摘され、どのように対処していくのかもテーマになっている。

会場は、カテゴリー別7つのパヴィリオンに分かれ、どの館内も来場者で熱気にあふれる。

一番の呼び物は畜産・酪農部門のパヴィリオン。入る前から動物や干し草のにおいが混じりあい、プーンとあたり一面に漂う。

中に入るとあの宣伝ポスターで馴染みの牛が中央特等席で出迎えてくれる。

品評会で選ばれる「女王」は、見本市を象徴するミューズ。昨年は肉牛シャロレー種の「イデアル嬢」6歳だった。ボージョレ山脈にある牧草地で育ち、クリーム色の毛並みに白い角。1000キロを越す均整のとれた体軀で性格は従順穏やか。ミューズにふさわしい品格を備えている。

全国から牛、羊、山羊、豚などが集められ、屋内は巨大な農場と化している。泥炭を敷きワラや干し草をちりばめた飼育場で、350種4000頭(匹)の動物たちが日常を営む光景は私たちの度肝を抜く。

飼い主は手塩にかけた動物の体をさすり、水桶に水を足す。自慢の我が子たちの晴れ舞台だ。

すぐ傍の販売コーナーには、鉄板で焼いた肉の匂いが立ち込め、販売員がにっこり試食を勧める。シャロレー牛、リムーザン牛など有名銘柄が美味を競い合う。手をかけ愛情を込めたからこそおいしい。これが食の現実。

海外領土のパヴィリオンへ。会場の空気が一変し、時間の流れも変わる。原色溢れる空間はスパイスの香りに満ちて、カウンターはラム酒をベースにライムやトロピカルジュースを加えたポンシュを注文する客で混みあう。

民族衣装に身をつつみ音楽を奏でるバンド、リズムに合わせて南洋の島人たちは踊り出す。褐色の肌とエキゾチックな瞳が印象的だ。

観客の酔いは次第にまわり、終了時間が迫るほどに高揚し弾ける。さまざまな肌の色が入り混じり、身動きがとれないほどひしめき合う。このパヴィリオンは農業祭の〆を迎えるのにふさわしい。

あれから一年‥‥。

新型コロナ感染症は世界中に広がり収束の兆しは見えない。

昨年の農業祭が始まったのは、武漢の都市封鎖が始まり、フランスにも陽性者が出たと伝えられたころだった。

そんなコロナ報道を尻目に、知人2人が日本からやって来た。彼女たちは農業大国の底力に触れたい、国の骨太な骨格を支える農業の実態を見たいとリスクを承知で海を渡って来た。

最終日前日、私たちは会場を訪れた。人波の中を何時間も夢中で泳ぎまわり、国の底力を充分すぎるほど感じ、試食で腹を満たし、特産物を買い込み、ポンシュを飲み‥‥。

翌日の会期最終日は中止になった。

後で知ったことだが、私たちが会場を巡っていたころ、政府内で中止が決定されていたのだ。もちろんコロナの感染対策のために。

あの時以来、ポルト・ド・ヴェルサイユの見本市会場は時が止まったままだ。いっさいの催し物は行われていない。祭りが終わり、私にとってのコロナ禍の日々は始まった。

今年の農業祭は中止。コロナは集うことを妨げ、人と人とを遠ざける。

二月も終わり、会場をとり巻く樹々は芽吹き勢いづく。再びあの懐かしい干し草のにおいと出会えるのはいつだろう。

祭りのあと、大型トラックに乗って各地方に帰っていった家畜たち。モォーと夜空に響き渡った牛の啼き声が耳に甦る。