2012年12月20日の夜明け前、毛並みのツヤも失せた15歳の老婆犬とともに私たちはシャルル・ドゴール空港に降り立った。凍てつく冬のパリ、陽の光も底をつく冬至の頃、この街で暮らすために海を越えた。
昼時間がもっとも短く、日ごと寒さが増す季節、なぜその日にしたのか。
還暦を迎え夫が退職。日本での生活に整理をつけ、パリ生活を始める準備に必要な時間を計算した上で決めた日程だった。物事を論理的に考え組み立てるタイプの夫がはじき出した。
何年も前から計画し思い描いていたものではあったが、いざとなるとすべき作業がすべて終えられるか自信はなく、不安が募る。それでも彼は3ヵ月前には飛行機のチケットを購入し、その日を動かぬものにした。
12月20日には何が何でも機上の人となり、パリに向かうという未来の事実は重く迫る。こまごました現実はいつだって計算外、結局その作業は私が追うことになる。最後は夜逃げ同然‥‥。
その日を選んだ理由はもう一つ。
冬至の頃は日が短く、生命活動が抑えられ身を縮めている。東京に比べパリは日照時間もグッと短く闇が長い。そこから始めればどん底から回復、再生していくしかない。いきなりこの時期を体験したら怖いものなどない。何が起こっても想定内だと考えられる、あえてこの時期にしようと、これまた夫が言った。この提案に私も乗った。
生まれ暮らした国を離れ、違った文化を持つところに住みながら人々の生活や考え方を見てみたいと思った。歴史をへて近代精神が育まれ、人が人として生きることを苦闘しながら探ってきた街パリに惹かれた。自分がどう反応するのか、身をおいてみたい。
長時間の飛行に耐えられるか気がかりだった老犬も彼女なりに事情を察知したとみえ、足元に置いた籠の中で気配を消し、心配になるほど静かだった。
空港からタクシーでパソコン画面でしか見たことのないアパルトマンへ。その日から異国での暮らしが始まった。クリスマスの雰囲気を楽しむ余裕はなく、役所の手続きなどに四苦八苦しているうちに年が明けた。
2013年は大雪が何回も降ってパリの街は白一色。しんしんと足元から襲う冷気に石畳の街の厳しさを知った。夜の長い日々が続き鬱々とした。あとから知ったことだが、近年にない過酷な冬だったようで、早々にいきなり厳しい自然の洗礼を受けたのだった。
以来、冬至は年月を確認する私たちの指標になった。
長い冬から抜け出た初めての春、陽気に誘われ公園に行くと、どこで息をひそめていたのかと思うほどのパリジャンが緑の上を埋め尽くしていた。ゆったりと座ったり、寝転がったり。存分に日光を浴び、深く息を吸い込んでいる。
犬を連れてよく散歩をした。老犬は石畳にそって、不自由な後ろ足を引きずりながら歩き、飼い主が放置した犬の落し物のにおいを嗅ぎ、時にはカフェに入って足元にちょこんと座り通りを眺めた。開放的で犬が飼い主と共にいられる場所が多いせいか、彼女は老体ながら活力を増し、以前より元気になった。
それでも、3回目の冬至が過ぎたころには、さすがに老化はすすんだ。白内障で目は濁り、後ろ足はいざり、瘦せた体からは多くの毛が抜けた。シーズーとマルチーズのミックス犬、滅多に吠えることもなくなったが、食欲だけは衰えずしぶとい生命力をみせた。
冬至を越すたび、日毎わずかずつ光の時間が増えていく。そのかすかな時間の分だけ、硬く縮こまった気持ちもほぐれていく。
そして、ある日突然、降り注ぐ陽の中に春を見る。光の強さを体感する。ちょうど日本でいう立春の頃だ。夜明けを告げる小鳥たちのさえずりが音量を増している。かまびすしいチビギャングたちが戻ってきた。季節は動いている。
フランスでは冬至から40日後の2月2日は「シャンドゥルール」と呼ばれる特別な日だ。ヨーロッパに古くからあった春を迎える祭りで、陽射しの復活に感謝し豊穣を祈ってきた。太陽を連想させるクレープを食べる習慣は今も続いている。後に、キリスト教がこの日をキリスト降誕後40日の記念祭にしたのだとか。
ちょうど節分に托する思いと重なる。新しい春に向かって厄を落とし幸運を願う気持ち。伝統行事はその形こそ違っても、共通する意識に支えられているものが多いと感じる。
2015年の春も間近と感じられる2月21日、ニュースでスーパームーンの満月が話題になり、世界遺産モンサンミッシェルの大潮が映し出された朝。老婆犬は天寿を全うして旅立った。あと数日で誕生日、18歳になる寸前だった。
「どん底から再生へ」と言い聞かせながら、冬至を越えてきた。冬の終わりに確かな春の気配を感じるとき、「喜び」とか「希望」という言葉が自然に体から湧きあがる。普段なら直截過ぎてためらいを覚える言葉が、自然に口をついて出る。
こうしてまた一年が始まる。