パリのアコーデオン

2015年11月、連続テロ半月後のレピュブリック広場

帰りがけにまわってくるシャポーに心づけを投げ入れる、大道芸の伝統を残した小さなコンサート。2015年11月、誘われるまま訪れた会場はレピュブリック広場近く、連続テロ事件で襲撃され多くの犠牲者を出した劇場バタクランに隣接したカフェ地下だった。

惨劇から半月余り、花、遺品、写真、メッセージ、蠟燭で埋まり、ヴァニラの香りに包まれている街。警備車輌で交通は制限され、立ち入り禁止のテープの張り巡らされたままの箇所には警官が配備されている。

休憩の警官が数人お喋りしている小さなカフェ中ほどの階段を降りると、20席ほど折りたたみの椅子の並べられたカーヴ。アコーデオン弾きの夫を従えるように登場した歌手は「いま世界でここほど安全な場所は考えられないわ」と笑い、二人だけの舞台は始まった。

ノンストップで一時間半、唄い奏されたのはレオ・フェレ。反抗と挑発の人、レオ・フェレの曲の数々は、テロといういまだ不条理な暴力に呆然としている精神状態にあって、ことさら威風堂々、凛と聞こえる。

そのくせ繊細に沁みとおる、突き刺さってくる、つやめいてさえいる。祖国ポーランドから逃れるように出てきた体験を持つという女性歌手は、独自のレオ・フェレを作り上げていた。

そしてアコーデオン。

無差別テロに狙われた街、石壁に囲まれた穴倉。受け手に特別な思い入れがなかったとは言わない。しかし、それにしてもアコーデオンとはこれほどの表情を持つものなのか。その驚きの連続だった。

重く低い地を這うようなつぶやきから、やわらかに澄みきった高音のさえずりまで。熱い憤り、伸びやかな愛、打ち解けた皮肉、そして静かな希望。

この小さなコンサートに身を置くことで、歴史的な事件がひとつの体験として内面化されていくのを感じていた‥‥。

アコーデオンは、とりわけパリという街で、特別な位置にあると思う。

タキシード着用のコンサートには縁遠く、ピアノやオルガンのような晴れがましさもない。トランペットやヴァイオリンのように強い自己主張をするわけでもない。気がつくと街のどこかしらから聞こえてくる。

唄い手に寄り添い、踊る男女を支え、コミカルな脇役に徹するかと思えば、時に血を吐くようなソロを演ずる。取り澄ましたところのない身近な隣人、普段はそれほど気に留めていないくせに、会わずにいると無性に恋しくなるときがある。

そんな楽器の秘密を気づかせてくれたのは、セルジュ・ゲンズブールのシャンソン、その名も「アコーデオン」、貧しいアコーデオン弾きの唄だった。

街から街へと流して歩くアコーデオン弾きは、いつでもどんなときでもアコーデオンといっしょ。共に唄って共にステップ踏んで共に稼いで、誰にも相手にされず、ひとり酒を飲むときも、じっとそばについている。

サツにしょっぴかれ、ブタ箱で一夜を過ごしたときだって。‥‥夜が明け、目を覚まし、彼がまずやったことといえば、アコーデオンに触れ、ちょっぴり空気を送り込んでやること。

‥‥いずれたいしたことではないのだろう。酔っ払った挙げ句すっかり寝込んで、手を焼いた店のオヤジに送り込まれたか、せいぜい無銭飲食でくだを巻いた挙げ句に突き出されたか。

おとなしく眠ってブタ箱で目覚めたときには、酔いもすっかり醒め果てて、あたりを見まわしうかがう。近くでひっそりしている相棒に気づくとほっとひと安心。手を伸ばし、そうっと起こしてやる‥‥。

砂を噛むような辻楽師の暮らしが、一枚の絵のように伝わってくる。‥‥このシーンで、ゲンズブールは肺に空気を送り込むと描写する。ひとりぼっちのアコーデオン弾きが唯一の身内、その擬人化された肉体にそっと息の吹き込むところに、アコーデオンという楽器の人間臭さが集約されている。

‥‥アコーデオンの秘密は息する楽器、人間の息遣いそのもの、まさしくこの点にある。

安堵の息を吐くときも、息をのむときもある。深呼吸もすれば咳き込みもする。息苦しくもあれば、溜め息しか出てこない場面だってある。‥‥そういうことなのだ。

メトロで、アコーデオン弾きを見掛ける機会はすっかり減ってしまった。たまに出会っても上手い奏者は滅多にいないし、古い曲をさりげなく流す楽師にいたっては絶滅危惧種だ。

けれど、それでも、しばらく離れていたパリに立ち戻り、メトロで流れ出てくるアコーデオンを耳にすると、ただいま、と小さく声を掛けたくなる。

アコーデオンはこの街で、まだまだ特別な楽器だと思う。