列車に揺られてマンシェット:読書漂流

たまたまだったのか、それとも、わざわざ食事時間に列車に乗ることはないと考える人が多いのか。夕食タイムに走行するTGVの運賃が他の時間帯に比べて格安になっていたから(フランス国鉄の乗車券は航空券同様、販売日、条件などによって変動、隣り合わせの席でも同一料金ではない)、迷わずそれにした。パリ到着も午後11時だから無駄がない。

スペイン国境に近い街、その地方特産の鴨肉サラダのサンドウィッチと濃い赤葡萄酒を手に列車に乗り込み、おもむろにタブレットを取り出すと電子書籍を読み始める。

日没後のTGVに揺られながら電子書籍、われながらこういう状況に身を置くことになろうとは夢にも思わなかった。光文社古典新訳文庫に「カラマーゾフの兄弟」や「失われた時を求めて」と並んでマンシェットが入ろうとは、これまた夢にも考えてみなかった。

‥‥精神病院に入院していたヒロインは、障害者に門戸を開いて積極的に雇用することで知られる企業家に、幼い甥の世話係として雇われる。甘やかされスポイルされきったイヤな餓鬼と、あぶなっかしい若い女、二人に共通するのはあえて言えば孤独。

ギャングどもの恰好のお目当てとなるのも、誘拐事件に巻き込まれるのも自然な流れといえば自然な流れに映る。しかし、犯罪一味の冷徹無比なリーダーが、長年の殺し屋稼業で神経性の胃潰瘍をこじらせていたから、物語は自然な流れから逸脱につぐ逸脱へ転げ落ちてゆく‥‥。

通路を隔てた席に座る若い女性は、ペット用のバスケットに猫を連れている。ミャオと啼くたび、小声で囁いたり指を差し入れてあやしたりしていたが、閉じ込められている猫はもう騙されないぞとばかり、次第に解放を求めて神経質な啼き声を上げ始める。

気を遣って周囲を見回す飼い主と目が合ったとき、(主観的には)最大限の寛容を示す微笑みで彼女にこたえた(つもりだ)。それで勇気付けられたのかどうかまでは知らないが、彼女はバスケットの中から猫を出し、膝の上に置いた。‥‥ひとり旅の娘と尻尾をぴんと立たせた猫、これが絵になる。

情緒的な表現を削ぎ落とした、歯切れの良い文章世界に戻ろう。‥‥逸脱につぐ逸脱の中で、ヒロインは時に超人的なパワーを発揮するかと思えば、どうしてここでと反芻するまでもなく人を殺している。

パリ市内の豪邸から始まったヒロインと餓鬼の物語はいつしか街道沿いから地方都市、山の中へと舞台を替え、逃げる方も追い回す男たちも、どことなくピントがずれてきて周りを巻き込み、おびただしい血が流れ出す。‥‥やはり、こいつらイカレている。

この作品のタイトルをどう訳すか、俗語とランボーの詩のもじりを生かすための苦労を訳者は解説で述べておられる。ここで明言はしていないが、現在の日本の出版界では避けるべきとされる「差別語」の問題があってさらなる苦労を強いられたのではないか、と咄嗟に感じたのは邪推だろうか。

余計なお節介かもしれぬが、愚者の文字に「あほ」と当て「愚者が出てくる」は、少し苦しい。東日本出身の身に、「あほ」の持つ語感が正確に伝わって来ないという事情もあるだろう。それにしても愚者というよりイカレた連中、あるいはイカレていく連中のお話。たとえば「みんなイカレた、お城が見える」ではまずかったのだろうか、などと勝手に思う。

夜の闇を切り裂くように走る超特急の車内で、大活劇を頭に描いていると、いつの頃からか間断なくお喋りの声の耳に届いていたことに気づく。バスケットから出された猫を恰好の話題とばかりに話しかけた青年が、娘の隣に座り込んで話し込み、少しの間にまるで幼な馴染みか旧い同級生かとでもいった塩梅なのだ。

交わす言葉の内容は分からない、まるで理解できないというのは時にありがたい。若い男女の語るフランス語は、小鳥のさえずりか秋の虫の鳴き声としか響かない。意味のない音響、バックグラウンドミュージックでしかない。‥‥鴨の肉汁の染みたサンドウィッチを頰張り、地中海に面した地方の葡萄酒を傾ける。素朴な葡萄酒の力強い香りが鼻に抜ける。

所有欲、金銭欲、支配欲、性欲、食欲、名誉欲‥‥登場人物がそれぞれの欲望の形から切り離されているわけではないし、それぞれの嗜好もあれば美意識もある。計算も働けば効果だって考える。ところがいざ、実際に行動して生きる場面になると、ことごとくちぐはぐになっていく。意識と行為が単純な対応関係の上に成り立っていない。

あれ、俺、何をしようとしているんだ。あたし、どうなっちゃったんだろ。

人間はしょせん自分の求めるところの全体像さえ把握できない生き物なのかもしれない。実際の行動によって、本当の欲求は絶えず裏切りつづけられているのかもしれない。

凡百のハードボイルドとは異なる、この犯罪小説の斬新な魅力はこの視点の開示にある。

フランス南西部の町から北東部に位置するパリまで、夜を突き抜け縦断する車中、ますます凄みを増し、だからこそ滑稽にも映るヒトの営み、イカレ具合を楽しむ。ギャングの男たちの飲む葡萄酒が、たまたま列車に乗り込む街で仕入れたものと同じ、コルビエールであったことに驚いて。

ちょっと最後がぬるいな、といささか不満も覚えながら。

猫と旅する娘と青年‥‥。パリ、リヨン駅の人波に気を奪われ、その後の展開を確認できなかったのはいささか残念。

マンシェット『愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える』訳・中条省平(光文社古典新訳文庫)

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