2日でも3日でも、少しまとまった時間を見つけたらなるべく京都に行こうと決めていた時期がある。もう10年ほど前になるだろうか。それも観光シーズンをはずした素顔の京都へ。
桜は散りゴールデンウィークには間のある時期、大文字焼きを終えた時期、年の瀬の年越し準備にさしかかった時期。なにかと便利な四条河原町のビジネスホテルを定宿に、足の向くまま気の向くままとにかく街を歩く。そしてなるべく京都在住者とおぼしき人の入った店にそれとなく入るようにする。チェーン店は避ける。
客の少ない時期だから店はゆったりもてなしてくれる。言葉に京都風イントネーションや関西訛りがなく、行きずりの気楽な客に過ぎないと看做すと、気を許していろいろ京都事情や裏話に及ぶこともある。‥‥それが楽しい。
木屋町とか先斗町とか、話し始めると京都の味覚を担っている割烹や小料理屋の板前や主人、女将は意外に京都市内出身者の少ないこともおもしろい発見だった。
岐阜出身だという割烹の女将は鴨料理をひとしきりすすめ、京野菜の講釈をひととおり終えると、「京都人は気位が高こうて、人に学ぶことようしまへん」から料理人としても、女将としても大成する者は少ないと笑った。真偽のほどは知らない。あずまえびすの喜びそうな話題をサーヴィスしてくれただけかもしれない。
生粋の京都人ならまず話してくれないだろうと思われる情報もあけすけに。「うちら錦(小路)はんはよう使いまへん。観光のお客はん向けですわ。高島屋はんの地下、あっこの食材に限りますな」。これも真偽不明。ただしこれから京都土産は高島屋で選ぼうと思ったのは確かだから、宣伝効果は抜群だ。
ついでに贈り物には何を選ぶか問うと「味の分かるお方なら〈からいた〉に決めてますわ」という。小麦粉を溶いて焼いただけの素朴な菓子で、毎日ほんのわずかしか作らないから高島屋でもすぐに売り切れになるのだそう。
そんなに人気あるんですか。「知る人ぞ知るやわね」。‥‥おいしいんですか。「おいしいと思うおひとには。これ、ひとを選びはるんやわ」。‥‥そのお菓子を知ってるだけでステータスというわけですか。「少しだけやからね、手に入るの」。‥‥稀少価値、それが販売戦略なのかな。「ええもんはそんなようけ作れまへんでっしゃろ」。
カギ括弧の中のセリフはなるべくそのニュアンスを伝えようとしての苦心惨憺だが、ホンモノの京ことばで話す方がたには不正確で不快かもしれない。あらかじめお許しを乞うておく。
京都に惹かれていた。恋しいとさえ思っていた。
食い物が美味く、東京では滅びつつある喫茶店の文化が健在だった。行き当たりばったり歩くたび、思いがけず出喰わす光景がおもしろかった。妙に尖がっているかと思えば、信じられぬほどひなびていた。
暮らす気にまではなれないが、刺戟とくつろぎを同時に感じられる街でもあった。
とりとめのない、摑みどころのない街のからくりをあばいてやりたいと感じていた。いつでも正体不明、もてあそばれている想い。それもまた快感だった。
当たり前のことに気づいたのは、その冬の夕暮れだった。
足利義満に縁の深い相国寺を訪れたあと、御霊神社とある案内板の文字に惹かれるまま歩いていたとき、ふと、そうか京都は平安京とは別物なのだ、と妙に得心するものがあった。
今さら口にするのも恥ずかしいほど簡単な事実というべきかもしれない。しかし、このとき初めて気づいたのだ。漠然と平安京と京都を重ね合わせていたことを。
宿を取っている四条河原町にしたところで京の外側を外れた鴨川の河原だし、京都全体の位置関係にしても平安京よりかなり東に寄っている。だいいち平安時代の建物など何一つ残っていない。かろうじて室町以降のものが申し訳程度にちらほらある程度で、戦災に遭わずにすんだ大正昭和期の家屋が並んでいる都市というのが、その正体なのだ。
正月行事の華やぎは過ぎ、梅の季節には早い時期だった。陽が傾くと襟元を撫でる風はしんしんと寒く、荒ぶる怨霊を神として祀りあげ慰撫する神社に向かうのは次第に気の重いものになっていた。‥‥正直に言おう。怖くなったのだ。寒くて暗くて、しかも怨霊。
それでも好奇心がかろうじて勝った。応仁の乱の火蓋が切られたというこの神社の境内を、どうしても覗いておきたかった。
室町時代半ば、有力な名門武家がまっぷたつに分かれて10年以上に及ぶいくさに明け暮れた。戦国時代の前兆とも言えるその天下の大乱が、この神社の境内での衝突から始まったのだという。
古くは源平の合戦もあった。そして応仁の乱では主戦場となった。室町幕府が倒れ、戦国の世から江戸政権へ。幾度も切断がある。平安京がそのまま京都であるはずはないのだ。幾重にも切断がある。二度と元には戻らない、戻りようもない‥‥。しかし、同時にだからこそ連続も意識される。すっかり途切れながらつながっているもの。
それを伝説と言ってもいい、霊性と呼んでもいい、神話と解釈してもいい、歴史と定義するのもいい、文化伝統と名付けてもいい。
その実体は大正昭和の家並み。しかし千数百年の物語が潜んでもいるところ。だからこそくつろぎと刺戟を同時に覚える。
陽はとっぷり暮れ、境内の暗さがいやでも意識される。
ぎい、突然いやな音を立てて大扉を閉める音が聞こえてきた。
もう境内には誰もいない、と勝手に判断されたのだろうか。
背筋のうぶげがぞわりとする。総毛立つという言葉はホントだな、と遠いところで感じる。
次の瞬間、大扉脇の通用門のようなところ目がけて突進する。突進するというより、膝をがくがくさせながらほうほうのていで境内から這い出す。
鳥居前、参道にあたるのか烏丸通に通じる小路まで出ると、そこにただ一軒、店が開いていた。小さな店から流れ出る一条の光。目は吸い寄せられ、足も自然とそちらに向かう。
暖色の光。
それだけのことで生き返る。たかが神社の門が閉まりそうになったくらいでうろたえた自分を笑うまでに余裕を取り戻して。
光に誘われ吸い込まれるように、小さいながら由緒ありげな店構えを眺めていて、またもや背筋のうぶげが波立った。
そこには、京銘菓からいた、とあった。