「隠居」に目覚める:伊能忠敬との出会い

何年も経ってから、あのときあそこでの出会いにはこういう意味があったのかとあらためて思い直す。

五十代も半ばに差しかかった頃だった。禁煙もしていないのにタバコを吸いたくなくなり、声は嗄れ体重は減った。日々の糧を得ていた出版界を覆う不況に歯止めはかからず、ご多分にもれず技術革新の波が押し寄せ、従来の仕事は大きく姿を変えようとしていた。

週末の遅い昼食をすませると、買い替えた車の試し運転をしたいという家人の助手席に同乗、行き当たりばったりのドライブへ。首都高は車線変更が怖くて厄介、環状道路は渋滞だというので、なんとなく都心に向かい、そのまま東へ進んで押し出されるように千葉県へ入りこんだ。

まごまごしているうちに日は暮れてきて、いっそ気分転換にどこかのビジネスホテルにでも一泊しようかとなった。通りがかりの巨大なスーパーマーケットで歯ブラシと着替え用の下着だけ調達すると、すっかり旅気分、行き着いたのは利根川下流域の水郷と呼ばれるあたりだった。

そこでたまたま立ち寄ったのが佐原(現在の千葉県香取市佐原)の記念館。江戸時代後期、測量に基づいたきわめて正確な日本地図の作成で知られる伊能忠敬と出会うことになった。

利根川の水運中継地として繁栄していた佐原村の有力者・伊能家に婿養子入りしたのは17歳のとき。酒、醤油の醸造から水運業まで手広く営む豪商とはいえ、家運の傾いていた伊能家立て直しに成功、繁栄に導く。

名主、後見役として村をまとめあげたのは、浅間山の噴火に始まる天明の大飢饉、打ち壊しの頻発した時代に重なるが、いちはやく貧民救済策を講ずるなど手堅い行政手腕を発揮している。

村人からはもちろん、武家からの信頼も篤く、名字帯刀を許されるまでになっていた。しかしいかに充実していようと、現役生活に未練は残さない。50歳を機に、あっさり家督を息子に譲ると隠居し、江戸へ出る。

ここからが本番だ。若いが優秀な師に弟子入りすると、暦学・天文学を学ぶ。

学ぶうち学問としての正確さを期すために、まず地球の大きさを正確に知る必要性を痛感。そのためには子午線一度の長さを割り出すこと、最低、江戸から蝦夷地くらいまでの距離を実測すること‥‥。

だから簡単に実測の旅に出られるとはならない。なにしろ大名の領地がモザイク状につらなっていた時代だ。少し移動するだけでも膨大な手続きと認可が必要。‥‥学問上の真理より、当面の統治政策、権威と体面の優先されるのはいつの世も同じかもしれないが。

ただロシアの使節が蝦夷地にやってくるなど、幕府として正確な地図の作成を急いでいたという事情はあった。

武家の出身ではない忠敬の登用を躊躇する幕府を動かしたのは、師たち有力な学者の面々が強力に推薦したこと、私財をなげうつ豪胆さ、経済的な実力を持っていたこと。

同時になんと言っても忠敬の人間的なスケールの大きさ、これに尽きるだろう。識見の深さ、意志の強さ、統率力、目的意識、道理をわきまえ洞察力に富んだ判断力‥‥現役時代を通じて鍛え上げられ結晶した、まさしく「隠居」ならではの能力が、頭の硬いシステムを動かしたのだ。

こうして幕府のお墨付きを得て、測量の旅におもむく。地球の大きさを測ってやろう、その壮大な目的を胸に秘めて。

‥‥と言うことは、つまり忠敬にとって地図の作成は、彼の情熱の副産物のようなものだった。‥‥そう思いつくとさらに愉快な気分になる。

‥‥してやったり。愉快な気分にとらわれ、還暦を迎えたらすっきり隠居しよう。新技術の時代、伝えるべきを伝えたらさっと身を退く、それでいい。

ハンドルを握る家人の横で、カーナビ画面と実際の道路状況を見比べながら「隠居」に目覚め、そう決めていた。決めただけで気持ちが軽くなっていた‥‥。

余談ながら。先妻、後添いと先立たれた忠敬は独り身で江戸暮らしを始め、ここで新たに若い妻を娶った。

このあたりの事情を知ったのは、思いがけぬ出会いの何年も後のこと。才色兼備の妻は女流文人として知られ、息子の年代にあたる師や仲間たちを羨ましがらせたという。

現役を卒業とあれば「家」の論理も、お世継ぎのためもない。権勢とも権威とも権力とも無縁だ。洗練された江戸の知的女性を惹きつけたのは、ひとえに忠敬の魅力、酸いも甘いも嚙み分けた、粋な「隠居」のチカラの証しと言えるだろう。

あやかりたいものだ。

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