お伽噺はほとんどがどこかおかしい。思いがけぬ展開に戸惑う。首をひねり、奇妙さに立ち止まる。謎は謎を呼ぶ。めでたしめでたし、と結ばれると呆気にとられる。
置き去りにされ取り残された感覚で呆然とする。こんなこと子どもに味わわせていいのか。それとも子どもだからこそ、味わっておくべきなのか。
そんなお伽噺の筆頭に位置するひとつが浦島太郎だ。
悪童どもにいじめられていた亀を助けたとはいえ、特にどこといって取り柄のない漁師が、故郷の浜から龍宮城に招き出されるや大歓待を受ける。
酒と薔薇の日々とはこのことで、悦楽に酔いしれながら太郎はどうして俺はこれほど厚遇されるのかと考えた形跡はない。もっぱら酔いしれ、ひたすら快楽を貪る。
しかし人間、いつまでも酔いつづけ未来永劫快楽のうちに居続けるとはいかない。なにもそれは道徳的な生き物だからというわけではない、客人でありつづけるように出来てはいないからだ。接待に継ぐ接待、繰り返される刺激はやがて単調なものとしか感じ取れなくなる。
倦怠と呼んでもいい。要するに飽きるのだ。いかに目新しい舞い踊りであろうと、趣向を凝らした料理であろうと、絶世の美女の示す媚態であろうと、やがて飽きる。いかなる刺激も、その連続は退屈な慣れへと堕していく。
海の世界を統べる龍王の娘にして聡明さこの上ない乙姫、優美なたたずまいに絶世の美女として崇められ、権威、能力、容姿を合わせ持つ彼女にして、ここの省察に欠けていた。
悦楽の連続も退屈となれば、苦痛をしか意味しなくなる。勝手と言われれば勝手なもので、何かと気遣う立ち居振る舞いまでが鬱陶しく感じられると、そこに追憶が忍び込む。
ひたすら恋しいのは故郷の思い出の日々。爪に火を灯す地味な暮らしぶりの、いかにささやかなものであっても、それはこの際問題にならない。思い出はいつも甘い。思い出ほど甘美なものはない。
帰りたいから逃げ出したいのか、逃げ出したいから帰りたいのか、太郎にしたところで分かっていたとは言いがたい。いずれにせよ、もはや乙姫の説得工作の成功する段階にはない。
これを、実人生とでも呼ぶべきものの呪縛と解釈すべきなのか。ひとは所詮、生まれ落ちた場から脱却できない。身の丈に合った、帰るべきところがそれぞれにあるという「良識」の発露だろうか。
胸に手をあてて考えてみよう。‥‥主人公が龍宮城に行ったきりではお話にならない、そういう思いは浦島のお話を聞き始めた当初から、われわれ聞き手のうちにあったものではないのか。
この思い、言い換えれば太郎のいるべき場所は龍宮城ではないとする暗黙の了解が、われわれには共有されていたのではないか。
お前には戻るべき場所があるだろう。‥‥太郎を覚醒させた太郎の内なる声は、物語の聞き手たるわれわれの声に他ならないという指摘だって充分に成り立ち得るように思われる。
この辺はもう少し検討の余地がありそうだ。
‥‥かくして太郎の帰還。故郷の浜辺へ。たった3日と思っていたのが何十年も経過していることに気づく、故郷はもはや帰るべき場ではないことを見出す。‥‥物語の愁嘆場だ。
夢の3日のために、実人生を棒に振ってしまった男。
だとすれば、太郎の落ち度はどこにあったのか。子どもたちのイジメから救ったくらいで身の程わきまえず、やすやすと亀の甘言にのって乙姫に会いに出掛けようなどという気を起こしたことか。
それとも夢を生き切れず、実人生への未練を捨て切れなかったからか。乙姫の愛に応え切れず、乙姫という「絶対」に帰依できなかった。その凡庸さこそ救いがたさなのか。ここの解釈は難かしい。
絶望した太郎は玉手箱を開けることになる‥‥が、この玉手箱というのもクセモノだ。心理サスペンス浦島太郎物語のなかでも、最大のミステリーと言っていい。
どうしても帰ると言ってきかない太郎に、乙姫の持たせたみやげ。それは絶対に開けてはならないと言い含めて手渡された玉手箱だった‥‥。
どこの世界に、絶対に開けてはいけないなどというみやげが在るだろう。帰りがけに手渡されたからと言って、だいいちこれをみやげと呼んでいいのか。
どうしたって危険なにおいがする。怪しい。怪し過ぎる。乙姫と別れ彼女の目の及ばないところに戻ったら、まずは捨てよう、処分してしまおう、こう考えるのが自然ではないのか。
とすれば、太郎は玉手箱の正体を薄々とながら知っていたのではないか‥‥。
乙姫の立場から見るとどうだろう。それを考えるためには、ここで玉手箱とはなんだったのか整理する必要がある。
物語の聞き手であるわれわれが知っている玉手箱は、開けると白い煙がもくもく現れ、これに包まれた太郎は一瞬にして年老いるという代物だ。
いわば加齢促進剤。龍宮城に3日過ごし乙姫と契ることで不老不死の身になっていた太郎の身体が元に戻る、地上世界、人間界の身体に戻す装置だったと考えられる。
乙姫が、この装置を決して作動させないでね、と太郎に手渡したのは、すると諦めきれぬ彼女の賭けでもあったという見方はどうだろう。玉手箱を持たせて太郎を見送る、そのシーンに乙姫の想いを感じ取れないだろうか。
太郎が玉手箱を開けず、もう思い出の世界に未練などない、過去を断ち切り龍宮城へ戻りたいと念ずれば乙姫の許に戻れる。そのときは許して迎え入れよう。開けてしまったならもう仕方ない、きっぱりさようなら。
これも考え過ぎか。開けないでね、と渡せば絶対に開けるだろう。シンプルにそう太郎の行動を読んだだけかもしれない。
しかしこの場合にはそれが罠だったのか慰撫だったのか。自分を捨てて過去の思い出に立ち返っていく者への復讐だったのか、残された愛の最後の形だったのか。またまた疑問は残る。
それにしても‥‥。煙に包まれ老いていくとき地上の存在へと回帰しながら、太郎は果たして龍宮城を懐かしく思い出していただろうか。
最後の最後まで煙に巻かれた気分のままではある。