マリアまたはマリアたち:マリア随想

ひざまずき十字を切るひとがいる。じっと瞑想する人影もある。しばし見とれる者、眩しそうに視線を投げる者、立ち止まらぬまま一瞥していく者。

それぞれにそれぞれのマリアがいて、それぞれのマリアを見ている。‥‥あらためてそう思いみなすとき、問い直さずにはいられない。それではマリア、あなたは誰なのか、と。

そもそものはじめからイメージの複合があった。

聖書のなかにさえ複数のマリアが登場し、それをどう読み取るか聖書解釈のテーマのひとつになっていると聞く。門外漢でもよく知るイエスの母マリアとマグダラのマリアの関係だけでも微妙で、興味深い。

受胎告知、誕生は母マリアの領域だとして、処刑、復活、いわば成人後のイエスにとってもっとも重要な場面、教祖としてのイエスのクライマックスにいずれも立ち会っているのはマグダラのマリアだ。

イエスのもっとも身近にいて、生み育て、近くで見つめ見取り、復活した生を受けとめる。イエスがイエスであることを保証し、生じせしめた女性(たち)はマリアを名乗り、マリアの周辺に女性信徒が集まる。

イエスの復活でいえば、その現場に立ち会ったのはマグダラのマリアはじめ何人かの女性だけだったという。どういう事情があったのか、男性信徒はその場に居合わせなかった。

マグダラのマリアはイエスの妻だったという説が根強く存在するのも、この辺の事情を反映しているのだろう。ダ・ヴィンチ「最後の晩餐」にしても、中央イエスの脇に描かれているのは妻である彼女ではないかとも言われる。

イエスの存命する時代、2000年前のオリエントに生きるイエスという名の宗教指導者の、もっとも近くにいたのは女性信徒グループだった。イエスとその教えは彼女たちによって支えられていた。

そう考えるとこの女性たちによる信徒共同体の集合的な記憶、マリアとは集合的な記憶の結晶ではないかとすら思えてくる。

性的強迫神経症に取り憑かれたローマ法王庁の父権絶対主義と、イエスの原初的宗教集団に漂う女性性、そのせめぎあいのうちに立ち昇ってきた形がマリアだという側面もありそうだ。

マリアの存在が大きくなれば、マリアという名の大地に生え育ち花開いたものこそイエスだと意識されることもあっただろう。いかに異端視されようとも。

‥‥ここでマリアを大地に喩えたのは、単なる思いつきからではない。マリア信仰の源流には古代的な地母神の存在がある、その認識を踏まえた上でのことだ。

とりわけエーゲ海、地中海東部に根を下ろしていた女神アルテミスへの信仰と密接な関係にあるという指摘は、多くの人びとによってなされている。

ギリシア神話では太陽神アポロンの双子の姉で月の女神、山谷とそこに棲む野生動物たちの守護神。弓を携え獣を引き連れた森の処女神として描かれ、オリュンポス十二神のうち。しかしこの女神の起源は古く、かの世界四大文明メソポタミア文明にまで遡るとされる。

広く中近東で信仰されていた女神が、後にギリシア神話に取り入れられたという流れだろう。キリスト教の時代になっても信仰の中心地として知られたのは、エーゲ海に面した小アジアのエフェソス。古く港湾都市として栄えた伝説の地だ。

ここに在ったアルテミス神殿はゲルマン人大移動の混乱で破壊されるまで、イオニア式建築の規模の大きさと壮麗な姿を誇っていたという。多様な民族が行き交い、文化の交錯するなか、大地、豊穣、多産を意味する地母神は少しずつ姿を変え、受け容れられながら生き続けたのだ。

エフェソスの地でマリアとアルテミスは交叉する。イエスの母は晩年この地に暮らしたとされている。また431年マリアが「神の母」と認定され、マリア信仰の生まれる発端も、この地での公会議だった。アルテミス信仰は次第次第にマリア信仰のうちに取り込まれ溶け込んでいくことになる。

‥‥しょせんは解釈に過ぎないのかもしれない。こうして文章にまとめていると、その感にとらわれる。それでもマリアをめぐるイメージの複合と変容、重層性の醸し出す豊かさは疑いのないところだ。

マリアを想う、想いの数だけイメージは紡がれ、銘々の刻む想いの深さが豊かさとなってあらわれる。個人的な想いが個人を超え場所を超え、いつしか「とき」を超えて織りなされていく。そういうことなのだと思う。

悲哀と憂鬱と:マリア随想 » 遊歩舎
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