悲哀と憂鬱と:マリア随想

陽射しの乱反射がまぶしい街並みを避け、教会のなかへすべり込む。静まりかえった小暗い空間は、ひととき休み憩うに最適だ。

聖人、十字架、宗教画‥‥それぞれの教会にいわれがあり仰ぐ対象がある。それでも蠟燭が奉納され、さざなみのように揺らめいているのは、どこであってもノートルダムすなわちマリアの前と言って差しつかえない。

カトリックとはマリアに対する信仰。イエスを身籠もり産み育てたマリアへの信仰。そう言い切るのは極論だとしても、祈りの中心にマリアの在ることを物語っている。

赤児を手にした古い御堂の素朴な木彫であったり、荘厳な尖塔を持つカテドラルで微笑むノーブルな貴婦人であったり、街角に置かれ道ゆく人びとを見下ろしていることもあれば、ステンドグラスの光のもとイエスの亡骸を抱え悲しみに耐える母でもある。

中近東の砂漠地帯で生まれた一神教、厳しい自然、厳しい生活、そこに現れた父なる神の冷酷なまでの戒律は、豊かな地中海北岸地域ではとても受け容れられるものではなかっただろう。

契約から愛へ、とりわけ母なるマリアの出現によってカトリック信仰の広まっていったのは、フランスの風土を体感するにつれ納得できるようになった。

フランスに暮らし、さまざまな場面でマリアに出会い考えたこと。その断片だけでも記しておきたいと思うようになった。そのためには誤解のないよう、筆者のスタンスを前以って記しておくことにして。

‥‥筆者は信仰そのものを否定する者ではない。むしろ逆だ。自己という有限性を超えた存在を想い、その超越性を感じ取るところに発するのが信仰であるというなら、その根本にある謙虚な感受性に敬意を覚える。

しかし、信仰が宗教にすり替わるとき問題は生じる。本来個人の内面にある信仰に、共同体としての規制をはめ込もう、社会性を付与しよう、信仰を共有することで現世での利害を分かち合おうとする動き、すなわち宗教、あるいは宗教団体が登場すると途端に胡散臭いものになる。そう見做している。

そのような者として想い、語る。聖書はじめキリスト教に関する基本的な教養、知識も欠いているし、場合によっては不快の念を抱かれるかもしれない。あらかじめお断りしておく。

マリアがイエスを身籠もったのは15歳の頃だったという。聖書にはほとんど記載のない、ということは聖書成立時とされる紀元1世紀末当時には重要視される存在ではなかった。

そのマリアが「神の母」に昇格するのは、イエスは単独で人間であると同時に神でもあると認定されたからで、イエスの死後400年も経過した紀元5世紀の宗教会議においてだった。

神の母に昇格すると、神の母にふさわしいエピソード、神秘的な物語への要求が高まっていく。7世紀半ばにはマリアの処女性が宣言され、処女受胎という奇跡が公認される。

神の母に格上げされ神性を帯びるにしたがって、マリアの出生の神秘化も始まる。聖書中には影も形もないマリアの母アンナが聖アンナとなって登場し、後世にはこれまた処女受胎でマリアを身籠もったという説まで登場するに至る。

これがローマの聖職者中心に、2000年かけてまとめあげられてきた流れだ。

‥‥2000年前オリエンタルの地に生を享けた男の子と若い母について、もう一度頭のなかで組み立てなおしてみる。

聡明な男の子は視野広く理想に燃える若者に育つ。時あたかもヘレニスム、東西文化の交流を背景に人間の普遍的価値が問われた。ユダヤ教の偽善と闘う息子は頼もしくも不安を抱かせもしただろう。

世を覆う欺瞞と闘う者の母として生きた、その愛と苦しみの日々を想うとき、後世の聖職者たちが練り上げたドグマに居心地の悪さを覚えずにはいられない。健康な肉体をもって子を産み乳首を含ませた、ひとりの女性を思い描くとき、言いようのない悲哀にとらわれる。

母は聖母にすり替わり、神の母に昇格することでひとりの女性としての身体性は奪われてしまった。穢れなさ、無垢、純粋と処女性。それを追い求める強迫観念の凄まじさは、病的であるとさえ感じる。

そしてマリアに抱く悲哀は、ドグマ、われわれの思索と認識の軌跡を振り返るときにとらわれざるを得ない憂鬱と、一体の関係であることに気づく。

在るところのものを信ずるのではなく、信ずるところのものを在るものとする。

‥‥イエスを信じる以上イエスは神である、神であると決める、ならばマリアは神の母に他ならない‥‥これは逆立ちした論理、まやかしの認識、われわれの陥りがちな罠なのではないか。

信ずるところのもの、信じたいところのものを在るもの、在るべきものと断じ、そこに陶酔すら覚えてきたのがわれわれの歴史ではなかったか。

悲哀と憂鬱に浸されながら、マリア像を見上げる。

原罪とか贖罪とかは、あずかり知らぬ。しかしマリアがわれわれの思索と認識の歪みに耐えつづけてきたことだけは伝わってくる。