小学校の前は小公園になっている。ブランコやすべり台、子ども用遊具の置かれた一角の脇に灌木が植えられ、ベンチが並べられている。
そこでひと休み。まだまだ気温は低く肌を刺す冷気を孕んでいるが、久々の陽射しを浴びたいと身体が欲する。
目の前のちょっとした空き地は、格好のペタンク用地になっていて数名のグループがプレーしている。平日の昼下がり、退職後の年代とおぼしき一団で、ベンチで日光浴しながら眺めている者と同じ年代だろう。
ペタンクはビー玉の大型版と言ったところ、直径7~8センチの金属製のタマを標的に向かって投げ合い勝敗を競う。ルールは冬のスポーツ、カーリングに似ているという(詳しくは知らない)。
一団のなかにひとり抜群の手練れがいる。毛糸で編み込まれた縁なし帽にマフラーを巻いて厚手のセーター、その腹はこんもりふっくら盛り上がり、がっしりした上半身に比べ下半身は華奢で脚は短い。伝統的本格派フランス風オヤジといった体型。
腰をかがめるわけでも特に息をととのえるわけでもなく、サークルに入って両足揃え、無造作にタマを放り出す。と、これがすごい。標的近くにある相手のタマをものの見事にはじく。
タバコを一服やって、通りすがりの知人と声を掛け合って挨拶、再びすたすたサークルへ。ぶれがなく、安定感がある。一見無造作に投げ出しているとしか映らないながら、手首のスナップに並々ならぬものがあるのだろう。
‥‥はじめてこのゲームの存在を知ったのは、まだ高校生かせいぜい大学生になった頃。と言って具体的実際的に理解したわけではない。たまたま手にしたロマン・ノワールの一冊に描写されていたものを覚えていたという程度のことだ。
暗黒街の顔役だった男が脱獄し、警察の目をかいくぐり故郷のマルセイユ近くまで逃げてくる。抜け目なくやってきた老練な男は、故郷近くの街でカフェに入るとやっとひと息ついた気分になる。
テラス席すぐ脇の広場にふと目をやると、そこで同年配の連中がペタンクをやっている。懐かしいシャバへ立ち戻った、ついついその仲間に加わり‥‥それがきっかけでアシがつく。うろ覚えではあるが、そんな展開だった。
パリを訪れるようになった1980年代末、モンマルトル裏手を歩いていて、丘の斜面の片隅で年配の男たちが数人、金属製の丸いタマを投げ合っているのを見掛けた。
ジャンパーを着込んでカスケットをかぶった男たちは街の退職者仲間、年金暮らしなのだろう、一投ごとに論評し合い、それを囲むように咥えタバコで見物する仲間たちまでいる。同じカフェの常連でアペロのワイン一杯分でも賭けているのだろうか。
‥‥これがペタンクなのか。頭の片隅に畳み込まれていたシーンが実際の光景として立ち現れてきたのはこのときだった。
南フランス起源の、オヤジたちの遊び。そんなイメージでいたが、パリにまで伝わっていたのか。ペタンクと、パリにおけるペタンクと、二重の発見をした気になった。パリを歩いていて目にすること、すべてが発見だったのだ。
そのまま忘れるともなく忘れていたのが、パレ・ロワイヤルの庭でゲームを楽しんでいる青年たちを見て、いつの間にかこのゲーム、すっかり根を下ろしているな、と気づいたのはずっと後のことだ。
若い勤め人たちが昼休みの腹ごなしに興じるまでになっていた、それどころではない、いまや年齢を問わず女性にまで愛好者は増えてきている。20世紀初頭に生まれ地域的な広がりしかなかったものが、今や世界的な競技人口を持つに至ったという。
あらためて気をつけてみると、そこここでペタンクに興じる人びとを見掛ける。どこのスポーツショップでもペタンク用品は手軽に手に入る。テレヴィコマーシャルの背景に登場するようにさえなっている。
洗練されスマートな競技となり、街のオヤジたちの手を離れるようにならなければいいが‥‥。そんな思いに駆られるほど。
余計な心配は無用。ニット帽の本格派オヤジは、目の前でこちらの想いを見透かしたように、再び見事な一投を見せつける。スナップをきかせ、狙い通り標的ぎりぎりに。タマを「投げる」というより「置く」と呼びたくなる正確さで。
ブラボ。冷え込まぬうちに散歩のつづきをと考えながら、同年配のよしみ、笑いがこみあげる。
こうしてペタンクに興じる人びとを眺めていると、ここに流れている「とき」を思わずにいられない。ペタンクを通してパリに降り積もる「とき」が見える。
そして。
パリに積もる「とき」のうちに、自分もまた含みこまれていることを意識する。