風にのってブレストまで

ブレストへ遊びに来ませんか。まことさんからお誘いをいただいた。

六角形をしたフランス本土の左上(北西)頂点、ブルターニュ半島先っぽの港町は魚介類が美味しい。夏でも牡蠣が食べられ、カフェの店先では朝から酔っ払いが気持ちよさそうにしている。気のおけない街です。

いつの間にか年を重ねたパリ暮らしは、幸運としか言いようのないいくつもの出会いに支えられてきた。なかでもまことさんとの出会いは、その最たるものだ。

還暦後はパリへ。その思いを募らせていた当時、導きの糸となったのは白水社の雑誌「ふらんす」と「パリの情報紙・オヴニー」で、まことさんはなんとそのオヴニーの編集長だったのだ。実際にパリに暮らすようになって、わが導き手その人と知り合うことになるとは夢にも思わなかった。

磁石に引かれる砂鉄のようにモンパルナスからTGVで4時間弱、終着駅のホームではまことさんとアンテナさんご夫妻が迎えてくれた。コロナ禍で引き籠もりがちな生活を余儀なくされていただけに、久々の再会が嬉しい。

まずは再会を祝して地元産の生ビールで乾杯。これがうまい。葡萄栽培に適さぬブルターニュは、シードル(林檎酒)と共にビールで知られる。パリでも壜入りのものは目にするが、生ビールとなると本場ならでは。まさしくブルターニュの味だ。

まことさんは編集者であるにとどまらない。料理と食材の研究家であり、味わいのある文章でファンの多いエッセイストでもある。リタイアしてもこの分野ではばりばりの現役で、食談義も楽しいけれど、実際の手料理をいただけるのだからありがたい。

自らソテーしてくれた白身の魚、タラの仲間のリュー・ジョーヌは市場でもあまり数の多くないのが出ていたから、とのこと。少しオリエンタルなスパイスを加えたソースと合わせた繊細な味わいは、海とブルターニュに想いを引きつける力を秘めていた。

北に大ブリテン島を控えて大西洋に突き出した、その名もフィニステール、地の果てを意味する土地に位置するブレストのまちは、地政的、地形的に海で戦う者たちの基地となることを宿命づけられてきた。

時は移ろうと、軍事技術の高度化でますますリスクは高まったというだけのこと。第二次大戦中にはナチス=ドイツに占領されたため、英米軍から徹底的な空襲を受けることになり、港からまちの中心部はほとんど焼けた。

占領下の生活も厳しいものだったが、そのドイツからではなく連合国の友軍である側からの空襲によって焼かれ、多くの犠牲者を出すこととなった。このへん、今に至るも複雑な思いの残っているのは当然だろう。

現役時代から家族とよくこのあたりの海に遊びに来てね、子どもたちは独立したし、リタイアしてこの街をアンテナさんと歩いていたとき、うん、ここに住もうってことになった。今は年に3ヵ月くらいだけど、そのうち半年くらいはここに暮らすことになるかもしれないな。

まことさんは編集者、料理研究家、エッセイストというにとどまらない。バッテリー奏者でもある。それも前衛ジャズ、インプロビゼーションの。本人は趣味だよと笑うが、そもそもまことさんと知り合ったのは世界的トランペッター沖至さんの演奏を聴きに行ったときだった。

そこでドラムを叩いていたまことさんが、あのオヴニーを作っていたひとだと結びついて‥‥驚きましたね、あのときは。と言うと大きな声で笑い、奨学金取れたのを幸い留学してきて、そのまま居付いちゃった口だからね。

1970年代半ばの話。もうこまかいことは忘れちゃったけど、論文は詩人のアントナン・アルトーだった。心身を病んでいた彼は終生鎮痛剤の麻薬と縁が切れずに、覚醒と昏睡を行ったり来たりする。これ以上行ったら落ちてしまう、意識の最尖端のようなものを見たんじゃないか、そこに惹かれたんだね。

問わず語りに語りながら、ぐらぐら湯の煮えたぎる大鍋にするりとカニをすべりこませる。冷蔵庫の中で心地よく眠っていたから、そのまま苦しまずに昇天願うとしよう。お互いの幸せのために。

研究生活には終止符打って、クニにも帰らないと言ったら、日本で指導教授だった先生が戻ってくるよう説得に行くからって、実際にやってきたよ。何のことはない、毎日いっしょに飲み歩いて終わっちゃった。特に説得された覚えはないな。

物柔らかで心優しい大陸風大人の風格がある。そのくせ、まことさんは疑いもなく尖んがっている。いつも最尖端に身を置き、感じ取り、覗き込み、さらに進もうとしてきた。それがとても自然なスタイルになっている。

闘う翁〔おきな〕。そう呼ぶのがふさわしい。本当に尖んがっているからこそ限りなく穏やかで、包容力がある。

軍港と造船所、ドックの並ぶ港湾地域を包むように延びるブレストのまちは、ウミネコの鳴き声が飛び交い、空模様は猫の目のように変わる。潮風の吹き抜けていく街角にはアイリッシュ・パブがよく似合う。

トラムの走り抜けていく近代都市のたたずまいからは容易に感じ取ることのできない、海と共に生き戦ってきた人びとの数多くの記憶が埋め込まれているのだろう。

ロンドン育ちのアンテナさんと新潟生まれのまことさん、尖んがりながらまろやかな二人が微笑みを交わしながら歩くのに似合う街でもある。

トランペッター沖至:パリの日本人 » 遊歩舎
こういう時って嬉しいね。‥‥ワイングラスをテーブルに置くと沖さんは言い、最高だね、とまことさんも相槌を打つ。 ベルヴィルの坂に面したカフェテラスでグラスを傾ける。透明な陽射しが眩しい。眩しい陽射しに、邪気のない笑いがこぼ […]