パリは海馬だ:続々「パリ本」あれこれ

ひと言でいうと、要するにパリとは何だろう。こう自問していて浮かんだのは「海馬」という言葉だった。記憶にかかわる機能を受け持つ脳の器官「海馬」。

第二心房、脾臓、ランゲルハンス島‥‥身体にまつわる名詞は適当に拾い出すだけでシュールレアリスム風味わいの詩になる。中でも海馬という命名には格別の趣がある。

パリは海馬だ。

なんとも詩的ではないか。パリとは記憶が畳み込まれ、活性化させる装置なのだ。とりわけ近世から近代現代、昨日今日明日を繫ぐ、世界の記憶回路。

気高くもあればいかがわしくもある、絶望的な昏さを含みながら希望に酔わせもする。ひと筋縄ではいかぬ記憶装置。そこに向かう手引書を「パリ本」と呼ぶことにしている。

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◆パリの墓地(水原冬美)

手許に「パリ本」はわずかしかない、渡仏に際して持ってきたものばかりだから、いささか古くもある。書誌のつもりでアマゾンを貼りつけているが、今となってはなかなか手に入らないものも多い。

わずかばかりのものでも覚え書きのつもりでまとめようと思い立った、そのきっかけである本書から今回はご紹介する。

パリの三大墓地、ペール・ラシェーズ、モンマルトル、モンパルナスはそれぞれ19世紀、パリの近代都市化に伴って霊園として一般開放された。逆に言えば19世紀以降のパリ、フランスの近現代を担ってきた人びとが満天の星のようにここに憩う。

人名辞典、あるいは墓誌。気の向いたときぱらぱら眺めるもよし、何かの折に参照するもよし。切断されたある時代、ある空間をひとりの人間が生きていた、そのまぎれもない事実と記録に、謙虚な気持ちを抱かざるを得ない。

たまたま同じ墓所に眠ることになった個別の人びとの生の軌跡に過ぎぬはずが、アトランダムに目を通すだけで絡み合い、いつの間にか社会全体を語り出すのを感じる。これこそバルザックの試みた「人間喜劇」ではないか。

墓所にある人びとに語らせるパリ。この街に魅せられた誰もが抱く想いを、これほど丁寧にこれほど丹念になされているのを他に見たことはない。

◆パリのカフェをつくった人々(玉村豊男)

パリを主題にしたこの著者によるエッセイは、80年代から90年代、雑誌に掲載されたものを読むのが楽しみだった。「マリ・クレール」は当時、フランス文化を紹介してくれるもっとも刺激的なメディアのひとつだった。

書籍化されて手許にある唯一のものが本書。氏の代表作とは言えないかもしれないが、カフェこそパリ文化の代表であるとの思いを抱く方にはお薦めだ。

日本で言えば信州を連想させる山国、オーヴェルニュ地方からパリに出稼ぎに来た人びとの気風と知恵、生命力のうえに花開いたカフェ文化を手際よくレポートしていて、なるほどと腑に落ちる。

1990年から92年にかけての取材をベースにしているから、現在と乖離している部分はある。たとえばパリのカフェ、ブラッスリーの経営者の8割以上はオーヴェルニュ出身者かその子孫とあるけれど、現在この分野にアジア系の人びとの進出が著しく、担い手は大きく変化している。

それはまた別の物語として記されねばならない。しかし現在との乖離を含めて、さまざまな出自を持つ人びとによって織りなされるパリの躍動感は生き生きと伝わってくる。しばしば忘れがちだが、パリは何より流動する都市なのだ。

◆パリ物語(宝木範義)

もともと雑誌に掲載されたものが一冊にまとめられたという意味で同じ成り立ちを持つのが本書だ。

30章に及ぶテーマは、ローマに学んだ美術アカデミーに始まり、ノートルダム寺院、セーヌの占める位置、都市計画から万博、食文化、ファッションと多岐にわたる。

総花的で物足りない、という向きもあるかもしれない。しかし、この紙数でパリを概観しようという以上、一つひとつのテーマの掘り下げを期待するのは過剰な欲求というもの。

パリをあぶり出す視点、パリを語る切り口、パリを知る糸口。採りあげる話題を選び、提示していることが本書の何よりの価値だと言える。それぞれにそれぞれの物語を示すことを含めて。

パリを語る30の章立てのひとつに「カフェ」があてがわれているのは言うまでもない。

◆19世紀フランス 光と闇の空間(小倉孝誠)

1843年創刊、1944年廃刊の挿絵入り週刊新聞「イリュストラシオン」の一世紀をたどって、この時代のダイナミスムに焦点をあてる三部作の2作目。

このシリーズは前にも取り上げたが、今回のテーマは近代化の過程で分化を遂げていく「光の空間」と「闇の空間」の対照。貴族からブルジョア階級へと覇権の移り変わりいく社交界、それが「光」であるとするなら、警察によって監視、牽制されていく「闇」、新聞記事でその対比的な空間を考察する。

「鉄と硝子の時代」の到来を象徴することになった、レ・アル中央市場の大規模な建て替え、公園が造られ温室や水族館が建てられた。豊かな階級は個人の邸宅にも庭や温室を設け、自然のインテリア化という現象さえ生む。

一方で法からの逸脱行為、社会不安を背景に警察機構がととのえられ、医学や諸科学の発達と連動して、犯罪を測定化可能な数量として表すことを企てる。パリ警視庁に化学実験室が設置され、マザス監獄、サン・ラザール女子監獄などの整備がなされていく。

新聞記事にあらわれた一つの事象、ひとつの点と点が結び合わされて線となり面となる。光と闇が織りなされると「近代」社会はおぼろな輪郭を見せ始めるようだ。

◆19世紀フランス 愛・恐怖・群衆(小倉孝誠)

挿絵入り週刊新聞「イリュストラシオン」の記事を読み込むことで、当時の人びとの感受性または想像力に肉迫しようとする三部作。2冊目まで取り上げた以上、この際3冊目まで紹介しよう。

今回は社会的な、いわゆる「事件」に注目する。カフェで、家庭の居間で、大いに話題を提供したであろう事件。それら数々の事件に注目することで、この時代に生きた人びとの、現に在った社会の実相に迫ろうという試みだ。

歴史年表にゴシック体で記されるような、政治・経済上の大事件というわけではない。愛憎、打算、怨恨の果ての悲劇、好奇心を煽りたてるゴシップ。

だからこそ人びとの意識の反映として、時代の持っていた空気を敏感に映し出す。

実はこの挿絵入り新聞、現在でもセーヌ河岸のブキニストで本物を目にすることが出来る。20ページほどのボリュームで、第一面の大きなイラストが目につく。

100年以上も前の新聞をセーヌ沿いの古書店で当たり前に目にするとき、手前味噌を承知で言わせていただくと、パリは海馬だ、この詩的なフレーズの生きてくるのを感じる。

https://yuhosha.com/apero/3625/