続「パリ本」あれこれ

パリを伝える、パリを語る。語り口の上手下手、文章の好悪は別として、唯一のポイントは、著者がそこに喜びを見出しているかどうかだと思う。

パリについて読み、知り、考えることを喜びたいと思っている読者にはすとんと分かってしまう。パリへの想いを共有したい。響き合うものを求めて、本を手にする。

パリを媒介に喜び合おう。パリを肴に楽しもう。パリを分かち合う試み、それを「パリ本」としてご紹介する。たまたま手許にある、いくらか年季の入ったものという限定付きで。

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◆パリ歴史探偵術(宮下志朗)

フランス・ルネサンス期をテーマに研究する学者がパリに暮らし、カフェで写真集に眺め入る。そこに写し込まれた日常生活のさりげない光景から、歴史の立ち昇ってくるのを見届ける。こういう設定だけで引き込まれていく。

‥‥前々から気になっている階段があった。医学校通りとムッシュー・ル・プランス街をつなぐ街路に、どうして段差がなくてはならないのか。マルヴィルの写真集をしげしげと眺め、ミシュランのパリ図を開いて‥‥中世のパリの痕跡じゃないか、と思いいたる。

気づく人には気づく形で、パリには時代を超えて訴えてくる歴史の痕跡がある。それに気づいたときの無上の喜び。これが本書を貫くトーンになっている。パリを偏愛する者には心ときめく一冊だ。

パリという馥郁たる香りの酒瓶の底に沈んだ澱〔おり〕のようなものをたどろうとした試み。‥‥著者の言に、これ以上解説を加えるのは野暮というものだろう。

◆パリ歴史図鑑(ドミニク・レスブロ、蔵持不三也・訳)

書名のタイトルを正式に掲げると「街角の遺物・遺構から見たパリ歴史図鑑」。‥‥見ているようで見ていない、見えているようで見えていない、ページをめくり、その発見に思わずにやりとしてしまう。

たとえば馬肉商の看板、古い館の壁や広場の片隅に設置された日時計、フリーメイソンのシンボル、旧子午線の跡、大革命時に将軍ナポレオンが王党派を一斉射撃した弾痕、入市税を徴収した関税事務所、国道の道路元標‥‥。 こう掲げてきて、ただちに目の前にその姿を浮かべることが出来るなら、そうとうのパリ散歩者、フラヌールだろう。

図鑑を名乗るだけあって、図版多数。写真を見ているだけでもパリ散歩の気分。地図帳を横に、場所を確かめればさらに気分は高まる。ただし誤植の多さは愛嬌と言える水準を越えている、この点は版を重ねて改善されていればいいのだが。

◆パリ——都市の記憶を探る(石井洋二郎)

都市とはのっぺり均質な、のし餅のような空間ではない。かつての王宮もあれば、食品市場もある。閑静な御屋敷街もあれば細民の溜まり場もある。

自然環境、人為的な要素、時代による変遷‥‥要因はさまざまあっても、要するに都市は多面体、パリはとりわけ緻密にカットのほどこされた宝石のような都市だ。

そんなことを思いながら、副題に「都市の記憶を探る」とある本書の扉を開けると、章題は「門をくぐる」「橋を渡る」「塔にのぼる」「街路を歩く」「広場を横切る」‥‥。

基本的な身体感覚をたどりながら、パリの多面体を遊んでみよう。情報量の多さに消化不良になりそうなら、しおりを挟んでぼんやりする。そのとき立ち上がってくる情景こそ何ものにもかえがたい。

読書の醍醐味はなにも読み進めることばかりではない。ページから離れ、途中下車という読み方だってある。

◆パリを歩く(港千尋)

パリという「場」を歩く。それはそれだけで事件と呼ぶべきかもしれない。

ひとはそのとき何を見、何を思い出し、何を感じ取っているのだろう。パリと格闘し、驚き、戯れる。そんな身体感覚をさらに研ぎ澄まし、パリと絡み合い紡がれたエッセイ集。

‥‥写真家の持つ視線の深さに刺激されながら、印象派の画家の描く街、シャルル・マルヴィルによって残ることになった原型、シムノンの書き残した夜、エミール・ゾラの探り出した光景‥‥を歩く。

エッセイ集に、具体的なパリの描写は削ぎ落とされている。削ぎ落とされることで、読む側は飢えと渇きにとらわれる。この「場」を、ときを超えて目にしたくなる。裏返しのガイドブック、誘惑の書とでも呼びたくなる。

◆〈パリ写真〉の世紀 (今橋映子)

パリは多面的な貌を持つ。その一面を感じ取るジャンルとして「パリ写真」を味わう喜びは計りしれない。この喜びをまとめあげる最良の手引きとなるのが本書だ。

著者のいう「パリ写真」とは、名所旧跡を対象にソフトフォーカスの手法などを用いた「芸術写真」ではなく、街路の奥深く、パリジャンのさりげない日常を写しとった「記録写真」のこと。

時代にすれば20世紀、とりわけ大戦間から80年代くらいに至る時代が主体。特筆すべきは、ドアノー、ブラッサイ、エルスケンはじめ、この「パリ写真」を主導した担い手たちの多くがパリ出身者ではないことだ。

写真というジャンルに限られたことではないけれど、より直接的にパリの息吹きを、瞬間のうちに封じ込めた彼らが異文化の出身者であり、外部の視点を持つゆえに結実させた豊かさを思い知らされる。

惹き寄せ吸い寄せた才能によって、またまた自己を見出し発見と変身を遂げていく‥‥。これこそパリというべきだろう。