ブルヴァール(環状大通り)は、もともとパリの市域を囲む城壁だった。
舗道にたたずみ、プラタナスの並木と石造りの建物の織りなす光景を眺めるともなく眺めながら、ここが市の内と外を分ける場として機能していた時代を思い浮かべてみる。
境界には独特の魅力がある。
こちらとあちら、二つの領域を分かつ場はどちらの磁場からも遠い周縁部であると同時に、それぞれが自らの内に吸収しようと影響力を行使し合う場でもある。引き裂かれながら統合しようとするところ。内から外が見え、外によって内が明かされる。
市を囲っていた城壁は、境界の可視的物理的な構築物の一つだったことになる。それも峠や橋、トンネルなど自然の地理条件とは異なる論理で決められた、きわめて人為的人工的な。
パリ歩きの書として古典的名著の趣のある『パリ史の裏通り』(白水Uブックス)で、堀井敏夫の開陳している城壁考を反芻しながらカフェで一服することにする。
戦闘機やミサイルなど空からの攻撃はもちろん、近代的に装備された地上軍ともほど遠い、せいぜい大砲のような火器がやっと登場して次第に技術革新発展していく時代。大雑把に中世から近世、日本なら鎌倉あたりから戦国時代くらいを漠然と頭において‥‥。
フランスの領主・城主は居城、都市を城壁で囲んで外敵から守ろうと考えた。これはフランスにとどまらない、ある程度の歴史と規模を持つヨーロッパの諸都市、いやヨーロッパというにもとどまらない。身近なところ中国では、老子孔子の時代から当たり前に壁が築かれていたから、「国」の文字は王のいる外側がちゃんと壁に囲まれている。なにしろ万里の長城まで造ってしまおうというお国柄だ。
町全体を囲む城壁を造らず、せいぜい中央に濠をめぐらした日本の城下町の方がむしろ珍しい。どうしてか、と問われれば即答に窮する。城壁を作る必要をそもそも感じなかったのか。外敵とする「敵」の性格が異なっていたのか。‥‥しかし、それではどうにも説明つかない。
堺の町や石山本願寺に代表されるように、市域全体を防御する町造りは日本でも見られ、それなりの展開を遂げていたにもかかわらず、とりわけ戦国時代後期の城下町以来、何故かこの路線は取られなくなったと見るのが妥当だからだ。
天守閣を築いて豪壮華麗な城は建てたものの、町の規模、広さがあまりに大きくなって、とても市域全部を囲いきれないとの無力感や諦めに取り憑かれたのだろうか。ここまで大きな城下町にまさか、ずかずか踏み込んでくる敵もあるまいとの想いがあったのだろうか。
堀井敏夫という人はただものではない、と感心するのはここからだ。この問題は問題として有効な問いではあろうが、明確な答えを出すだけの論拠はない。こう、あっさり見切ってしまうのだ。そして、つづける。
論拠のない以上、ここはひとまずそれを括弧に入れてしまおう。それより逆に、城壁の出現によって何が引き起こされたか、どう歴史は動いていったか。それを考察してみることの方が、はるかに有意義でおもしろいのではないか。
一つの問題意識に凝り固まったアタマを別の方向に切り換える。こういう切り換えがなかなか難しい。思考の可塑性、知の柔軟性とでも言えばいいだろうか。この切り換えから新しい知の地平は切り拓かれ、次のような仮説が導き出されてくる。
‥‥それが目的であったわけではないだろう。しかし結果的に城壁の存在は、市民意識の誕生を促す要素となった‥‥。
城門を閉じ、壁に囲まれた狭い市域に住民がひしめき合っているさまを想像してみよう。
壁の外を幾重にも包囲した敵軍は食物の補給路を断ち、味方との通信を遮断し、消耗と相互不信から自滅するか、しびれを切らして開門し絶望的な戦いを仕掛けてくるのを待っている。それに耐え、やって来るはずの援軍を頼りに、どこまで維持していけるのか。
あるいは当時の医学知識にあって、治療法はもとより発生のシステム、ネズミが媒介するのか昆虫が介在するのかさえ分からぬ伝染病のひたひた迫り来る脅威に対して固く門を閉め、互いの身体をチェックしながら流行の衰えるのをただただ待つ‥‥。
恐怖と緊張、疲労と飢餓。うんざりもすれば鬱陶しくもあっただろう。裏切りもあれば自暴自棄もあっただろう。しかし、こういう状況下で住民たちの連帯感の湧き出てくるのは、むしろ自然な流れではないかという気がする。
ここで、ロダンの彫刻で名高いカレーの市民が例に引かれる。時は14世紀、百年戦争時の逸話で、イギリス軍に包囲されたカレーは一年以上にわたって籠城するも援軍きたらず、降伏を余儀なくされる。6人の市民代表が出頭することで、カレー市の破壊と殺戮は赦免されるとの条件で。市と市民たちを守るため、イギリス国王の許へ向かう代表たち‥‥。
境界があるから城壁が出来たのではなく、城壁を造ったところが境界になった。境界はあらかじめあったのではなく、境界を設定したとき、そこに境界という意味が生まれ、境界が別の価値を育んだ。
そう言い切ることにためらいは残る。しかし、ためらいながら敢えて言う。こういう視点はあっていい。きわめて刺激的だと。
冬の昼下がり。ブルヴァール沿いのカフェは閑散としている。手持ち無沙汰のギャルソンを呼んで精算をすませたら、少し歩いてみようか。かつて城壁の連らなっていたプラタナスの並木道を。