夏のカフェテラス、すぐ前の席に腰をおろしたマドモワゼルの、蠟を引いたようになめらかな背中と肩胛骨の動きをぼんやり眺めていたのを、目ざとく女史は詰問する。
半世紀も前のわが都立高校同期生は、当方こちらに在住と知ると、パリ旅行の機会に声を掛けてくれ、カフェで顔を合わせることになった。
スタイルのいい子は多いし、なんと言っても露出度が違うわよね、こっちに暮らして夏が好きになったなんて言ってたけれど、ホントのところ目の楽しみが増えたってことじゃないの。
この歯切れの良さ。畳み込むテンポの鮮やかさ。50年経っても変わらないものは変わらない、などと懐古的な想いに浸る余裕もない。‥‥ものすごく好色な目付きしていたの、自分で気づいてた、ねえ。と速射砲のごとくつづく。
もやもやとは違うな。ついつい剝き出しの肌に目を吸い寄せられるのは条件反射のようなものでね。ミロのヴィーナスなら堂々とゆっくり見られるけれど、そうもいかない。
ふーん、街なかで剝き出しの背中に目を走らせるのと、ルーヴルでヴィーナス見てるのと同じなわけ。
本質的には変わりないような気がするな。
それって男子一般ってこと、それともオーシマくんの場合‥‥どっちなの。‥‥なんか、本質的に変態って聞こえるわね。やっぱスキを見せちゃいけない生き物だってことかしら。
口から出てくる言葉の勢いが決定的に違う。こちらがもたもた言葉を組み立てているうちに、3倍から4倍の速度で畳みかけられていたのではなかったか。
‥‥また、夏がやってきた。
ひとりカフェテラスで生ビールを傾けていると、強い陽射しにサングラスをかけたマダムが腰をおろす。運ばれてきたプロヴァンスのロゼワインを手にするとき、少し前かがみになると、白いドレスからこぼれ落ちそうに実った胸元がしっかり目に飛び込んでくる。
オーシマくん。‥‥かつて夏のカフェでお喋りした女史の声が聞こえてきた気がした。
もやもやしているわけではないよ。いつの間にか言い訳がましく呟いている自分に苦笑する。
視線はしっかり具体的な事物に向いてはいる。大脳にくっきり映像として刻み込まれてもいる。しかし、もやもやというのとは断じて異なる。あまりチカラを込めるとかえって疑われそうだが、可能な限り強調しておきたい。
思うに、もやもやとはこうして偶然外側から受けた刺激に対する反応という種類のものではなく、内側に位置する、汲めども尽きぬ泉から発する妄想力の発露によるとでもいうべきものではないか。
それこそ中学生、高校生くらいの頃には3分に一度、いや1分に一度、いやいや30秒に一度はもやもやが訪れた。
サイン、コサイン、タンジェント、微分、積分。仮定法、分詞構文、イディオム。サ行変格活用、副助詞、格助詞。‥‥お構いなしにもやもやが忍び込む。30秒に一度はもやもやの霧が立ち籠めた。
要するに、外側から受ける刺激などという甘っちょろいものではない。内側からこんこんと湧き出てくるものなのだ。
男子とはこういうものだ、と断言する気は毛頭ない。男子、とひとまとめにするほど大雑把なものではないことも承知している。したがって女史に詰問された男子一般ではなく、あくまでオーシマ個人として受けて立つ。
と、啖呵を切りながら正直なところ、それほど個人的なものだとも思っていない、一般的とまでは言えないにしても、そう特別で特異だとも感じない。この辺、統計があるわけではないから微妙ではあるのだが。
頭の回転の速い女史が舌鋒鋭く問題にしたから、なんとなく否定的な感情、劣情を催して、というカタチで対応してしまっていた。しかし、きわめてゆっくりとしか頭の回転しない当方としては、どうしてもこれは納得がいかないぞ、と思い返す。
身も蓋もないと言われそうだが、もやもや、身体の内から湧き起こる間歇的な衝動が、妄想の形を取って表れる現象。こう定義づけてしまえば、気持ち悪かろうが、信じがたかろうが、本能的な欲望の声に他ならない。
地球上に生物が誕生して動物へと分岐し、複雑化の道をたどって霊長類、人類へと生命の連鎖の生み出した、その根元に位置するとも言える神秘的な感覚の揺らぎなのだ。
細胞の一つひとつに宿る生命という不思議から滲み出てくる神秘的な揺らぎ。若い男子は、正確にはハイティーンの頃のオーシマは、30秒に一度くらいの頻度で、この揺らぎを実感したということだ。
でもだから、何はともあれもやもやに身を委ねてしまおうというわけではなかった。むしろ逆だ。本能のおもむくまま身を処していいのか。ここで衝動をカタチにしてしまっていいのか。
もやもやを意識したときから、いつでも男子はそう煩悶する。ゴーサインを出したりブレーキをかけたり、絶えざるもやもやとの付き合いが始まる。
宗教や道徳、倫理など、すべてこのもやもやとどう付き合うのかというところに起源があるのではないかとさえ思う。もやもやこそが文化を洗練させてきた。いっそ、こう言ってしまいたいくらいだ。
だから‥‥女史に訴えたい。懇願といってもいい。
ひとまず、もやもやを認めてもらえないだろうか。
否定するのではなく、認めてもらえないだろうか。
‥‥欲望の肯定、本能の肯定、人間の存在の肯定。なにをどう主張するのであっても、ここを認め合えないだろうか。ここから始めようではないか、と。