高校卒業50年

2020年3月に高校卒業50年を記念する集いが計画されているけれど、キミは「消息不明」者のうちにカウントされているよと、同期の知人から連絡があった。

言われればはっとするだけの歳月ではある、満50年‥‥。1970年3月に高校の卒業式はなかった。

反戦反安保・沖縄闘争、全国にひろがった大学・学園闘争を背景に、高校生の政治活動の自由を求める運動は、デモ参加者処分の撤回を求める署名から構内集会、校長室占拠、機動隊導入へとエスカレートし、バリケードストライキ、再度の機動隊導入、ロックアウトと展開していった。

夏休み明けの9月以降およそ授業など成立せず、形だけの卒業を果たした、そんな年代だ。

なんの準備も用意も出来ていない状態で、いきなり激動する社会の渦に放り込まれたとの想いはあった。徒手空拳で火事現場に投げ込まれたような、素っ裸のまま街の真ん中に突き出されたような。

しかしながら少し考えてみれば、社会の現実というヤツに充分な準備と用意が出来て立ち向かえるなど、いくつになってもあり得ない。いつどこで出っ食わそうが蒼ざめ、戸惑い、強がり、震え、逃げ出し、立ち戻り、深呼吸し、受け容れ、歯を食いしばる。それしかない。

腐敗分子と呼ばれ、腐敗分子たることを自認してもいた。ピュアな原理・原則に従えるタイプではなかった。従うことに酔えなかった。学校当局と傲慢な政権、日米帝国主義者を間断なく責め立てるタフネスはなかったし、ほとんど宗教的情熱とでも呼べそうな熱狂に自己を同化させるには余分な妄想、妄念が多過ぎた。

単純に機動隊の暴力は怖かった。ジュラルミンの盾で殴られ催涙弾を撃ち込まれる苦しみに、いったい何をやっているんだろう、殉教者を気取るつもりはないんだとの思いを抱きもした。

それでも反体制派としての矜恃はあったし、歴史はここで切断されねばならないと感じていた。

授業のないことを幸い、ひたすら受験勉強に打ち込む連中には反吐が出た。一方で、情念の爆発とか感性の無限なる解放などと掲げるアングラ劇団や前衛芸術家たちにもついていけなかった。

要するに中途半端なまま、あっちに往ったりこっちに来たり、新宿の街をさすらっていた。「書を捨てよ、街へ出よう」と呼び掛けられて漂い出るのも新宿なら、「真の知を構築しよう」と紀伊國屋へ赴くのも新宿だった。

未熟ではあった。思考の方法を打ち立てられてもいなかった(現在でもそんなもの打ち立ててはいないけれど)。それでも当時の社会政治状況から見えてきた枠組み、そこから読み取る方向に基本的な誤りはなかったと、半世紀経った今でも思う。

人間を大切にしない誰をも幸せにしない「日本」というシステムはそのベースに「明治維新」を引きずり、社会と個人の間に横たわる「世間」という訳の分からぬ制度が人びとの意識を縛りあげている。

このクニはこういう「国」なのだ。借り物でも出来合いでもない。少年の行き着いた、この島国への思考の果てだった。50年前の新宿を困惑しながら歩いていた少年の持っていた認識だ。

‥‥いつの間にか高校を卒業、いや実際には卒業証書は出すから早く出ていってくれ、というのが本音だったのだろう。‥‥漂いながら大学へ流れ、1972年「沖縄返還」を機に、学生運動の隊列を離れた。

「日本」というシステムを断ち切るはずの隊列が、窒息するまでに息を締めつける「日本」のミニチュアでしかない。とっくに気づいていながら認めるまでに、多少の時間を要した。

そして‥‥。

野蛮で幼稚、そのくせ狡猾、賢〔さか〕しらな島国「国家」のシステムと非和解的に生きていくことを自らに課した。可能な限りこの「システム」に荷担しないこと、距離を置くこと。積極的に消極的存在たること。言い換えれば、現代における隠遁者たらんとする道でもあった。

と言って、地球をいくたびも破滅させうるだけの核兵器が所持され、電子化した情報の網の張りめぐらされた時代に、人里離れた山の中にひっそり庵〔いおり〕を結んだところで独りよがりの骨頂。酔狂を通り越して滑稽でしかない。

だいいちひ弱なシティボーイときている、性格的にも生活能力的にも一日たりとたちゆかぬこと、火を見るよりも明らかだ。夜、蚊の羽音がするだけで眠れない、釘一本満足に打ちつけられはしないのだ。

そこで見つけたのは体制の中枢からはるかに遠い、微温的な出版社の、それも校閲という職種だった。これなら他人の書いた原稿やゲラを一日中読んで、チェックしていればいい。あとは居酒屋、古書店めぐりと散歩を楽しみに、町の一隅でささやかに暮らす。

‥‥こうして還暦までを過ごしてきた。

そんな歳月を想い起こしていると、高校時代を共にし、散り散りに生きてきた連中がどのような半世紀を経てきたのか、何を感じ取ってきたのか訊ねてみたい気はする。

それにしても消息不明‥‥せっかく消息不明のうちに入っているなら、寝た子を起こすまでもない、静かにしていよう、それはまたそれでいいではないか、と思い返しもする。

還暦過ぎに「島抜け」し、こうしてサイトを立ち上げた段階で、もはや隠遁者とも呼べない存在となっている。それは重々承知であるけれど、今さら手を挙げ名乗り出るまでもないだろう。

あの時代に隠遁者たることを選んだ、ひとつの帰結。そう感じ取るのがいちばん落ち着きのよいように感じている‥‥。