パリ不適応症:去りどき帰りどき

街のきたなさ、利用客などまるで無視したストライキの乱発。そもそも公共心のかけらもない、ほとほと愛想が尽きました。‥‥端整な顔を歪めながら、カフェの席に着くなりD氏は語りはじめた。

退職後、ご夫妻でパリに暮らして2年。この辺がピリオドの打ちどきだと帰国を決意したと言う。決意した途端、今まで我慢していた思いが堰を切ったように隘れ出てきたとも。

だいたい移民が多過ぎる。みな勝手に自分の文化を持ち込んで大声で喚いたり、働きもしないでぶらぶらしている。泥棒や掏摸の多さときたら、街を安心して歩くことも出来ない。ホームレスは多いし、乞食も多い。それを放っておく。

窓枠を直しに来ると言っていた職人は約束をすっぽかすし、小包みだってまともに届かない。役所の窓口はいい加減。水道はしょっちゅう詰まる、水漏れする。地下鉄ときたら階段だらけで薄暗い通路がえんえんつづく。くさい、きたない。

笑って同調できる部分には笑って応える。それ以外は、黙ってうなずく。‥‥2年の間に溜まった不満憤懣ストレスのかたまりは、もうどうしようもない段階にまで達しているようだから。

パリ不適応症とでもいうべき症状は、パリ生まれのパリジャンにだって起こるくらいだから、いくらこの街に惹きつけられて来たとしても発症するのに何の不思議もない。こじらせてしまえば自然治癒は難かしい。その代わり、ひとたびパリを離れればけろりとなおる。

風呂あがり素足で畳の上を歩き、塩辛を肴に吟醸酒でもきゅっとやって、旧友縁戚に囲まれコシヒカリと味噌汁、糠漬けでも口にすれば、たちどころに好転するだろう。パリはこうだったああだったとおもしろおかしく、いい思い出として語る日もくるだろう。

還暦後、退職を機に海外生活に踏み出す。‥‥同じ身の上だから、他人事ではない。明日この症状が出たとしても、何の不思議もない。

それでなくともいい歳になっているから言葉の壁は厚いし、水や食べ物の違いに身体が慣れ、暮らしのルールを身につけるのは楽ではない。遠い東洋の島国との連絡・通信も厄介だし、為替相場に左右される生活は不安定でもある。

顔色を変えず表情を出さず遣り過ごす社会生活に慣れた者には、はっきりと意思表示は求められるのはなかなかつらい。いきなりビズされ戸惑い、挨拶のタイミングをはかる。立ち往生することもたびたびで、われながらカッコ悪い。ストレスを覚えて当然というべきだ。

もちろん、こういう一般的な理由のほかに、パリ不適応症の発症には個人的な経験や事情、資質が大きく作用する。

D氏ご夫妻の場合、それぞれが「先生」と呼ばれる職業で周囲からあがめられ、尊敬を集めてきた。いわば上下関係的社会にあってご本人に特に意識はなくとも、知らず知らずのうちステータスに誇りと安らぎを覚えていたことだろう。

ステータスを失ったリタイア後の生活感覚をどう摑むか。むしろ、そのためのモラトリアム期間として、若い頃からの憧れだったパリ暮らしを計画し踏み切られたのではないか、とさえ言える気がする。

退職後に、今までと異なる人間関係をどう築けばいいのか。根本にそういう煩悶を抱きながら、パリ新参者という「弱者」の身に置かれる居心地の悪さは、じゅうぶん理解できる。パリに向けた不満、悪口には八つ当たりがいくぶんかは混ざっているだろう。

生意気ながら考えあわせていけば、ご夫妻のそんな在りようが浮かび上がってくる。「家内は近頃、滅多に外に出なくなりました」ぽろりと口をついて出た言葉に、納得するものがあった。

去りどき帰りどきはある。それぞれに、それぞれの形で。

握手して別れながら、氏と顔を合わせる機会はよほどの偶然でもない限り、まずないだろうと思った。帰国後の連絡先を氏は語らなかったし、こちらからあえて訊ねもしなかった。

正直言えば、いささかぼうっとしていた。

ストライキばかりの街もつらいけれど、ストライキのひとつもない街は薄気味悪いですよ、怖いですよ。

そもそも物を施してくれる人がいるから、物乞いは存在し得るわけで、いかに物を乞おうと人びとが顔をそむけ、無視し、嫌悪感をあらわにし、警察に取り締まらせるような街に現れはしませんよ。

この街に暮らし始めた2年前、出てきたばかりの島国の都市についてそう語っていたのはD氏ご自身だった。

ひとは自らの体験のうちで、個人的なちっぽけな経験をもとに、これほどたやすく思いは移ろい、感じるところも変わるのか。‥‥それが衝撃だった。

動きは鈍くなり皮膚に皺の寄るほど長く人間をやっていれば、いくらだってそれくらいの人びとのそれくらいの話は聞いている。それを衝撃と感じる自分の、残された青さのようなものが苦々しかった。

明日は我が身。‥‥それは分からない。ただ一つ言えるのは、仮にこの街を出て行こうと思う日がやって来たとして、帰れると思うだけの場所はすでにない。もはや戻るという感覚はない。また再び、どこかに向けて出発するだけの話だということ。

それなら、それもいいと思う。この街に何年か暮らして学んだ。戻ると言えるのは現実にあるはずのどこかではなく、意識の奥底で呼び起こされる記憶の場なのだ、と。

‥‥どこか落ち着くカフェに入りなおそう。街行く人びとを眺めながら、生ビールをちびりちびりやる。厄落とし。今ここに在る‥‥パリに在ることで記憶を旅するために。

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