バリのつもりが‥‥ありがとうパリ

低く伸びる声に深い表情がある。グランドピアノに寄りそって唄う姿もさまになっている。シャンソン愛好会の発表会の本番予行練習。しかし残念なことに、唄の途中で立ち往生する。

アタマの中が真っ白になっちゃって、台詞がみな飛んじゃうの。あたしって、上がり性なのね、マダムは屈託なく笑う。

敗戦の年1945年生まれ、吉永小百合と同い年だというマダムは、息の詰まりそうになるお嬢さま学校から自分の意思で美大に進むと、インテリアデザイナーを目指した。このあたりから父親とぎくしゃくしたものが生まれる‥‥。

ちゃんと正規の入社試験で建設会社に採用されてね、男性社員にまざって毎晩飲み歩いものよ。楽しかったし、やっと一人前って思いがあったの。頑固おやじにガミガミ言われたってかまやしない、あたしゃ自分の稼ぎでやってるんだってね。

でも、ある日分かる‥‥結局女は同等に扱われていないって。さあばりばりやるぞと思っても補助的な仕事しかまわってこないし、職場の花ってやつ。4年、5年と経つと後輩たちがどんどん入ってきて薹〔とう〕が立つっていうの、消耗品だったんだなって。

これが父の言う社会の現実なのかと壁にぶつかって、でも冗談じゃないって感じた。父は薩摩生まれの頑なな変人でね、結婚、仕事、家族‥‥アタマの周囲でいつもくるくる回っている問題にもううんざり、少なくとも気分を入れ替えなくちゃ、って見たのが新聞の求人欄。

どれもこれも似たりよったり、要するにお茶汲みじゃないのって見ているうちに、飛び込んできたのが海外からの募集だったのよ。

当時の新聞求人欄て、ものすごく小さな活字で組んであったじゃない。バリでブランドショップの店員募集っていうのに惹かれたの。最低2年間の就業希望っていう条件が、インドネシアなら気軽だし、なんか行き場なしと感じていたのに風穴を開けるのに、ちょうどいい距離と期間かなって気になったのね。

電話で応募すると、なんだかイメージが違う。そんな気軽なものじゃない、‥‥パリをバリと読み違えていたって、はじめて気づいたわけ。でも、えーい、もうこうなったら勢いだって‥‥。

アペロのワインに頰をほんのり染めたマダムは、自分でも可笑しそうに、顔を綻ばせた。‥‥1973年27歳だった、もう四十数年も前の話になるのね‥‥。

フランスなんて考えたこともなかった、パリなんて思ってもみなかった。右も左も、ことばもなにも分からない。‥‥そこから始まった。

日本人の団体旅行客がパリのブランドショップを訪れ始める。そんな時代の要員だったのよ。ともかく一所懸命。6区お屋敷街に暮らして、と言えば恰好いいけど、エレベーターも何もない狭い建物の屋根裏部屋、親とは勘当同然だったからほとんど無一文からのスタートだったわ。

サン・シュルピス寺院の鐘が聞こえてきてね、目一杯疲れ切って一日が過ぎていく。でもね、あのときの解放感と言ったらなかった‥‥。

旅行社に勤め添乗員としてやってくる青年と知り合い、せっかくパリに暮らしながらわざわざ日本人と結ばれることもないんじゃないかと思いながら、できちゃった婚ってやつね。ははは。

‥‥二人とも半人前だった。でもね、お産の費用から何からすべてタダ。母親になったと分かった瞬間から、この社会は本当に手厚く保護してくれるのよ、隣人たちもみな優しい。

育児休暇はもちろん、教育費も実質無料。うちの娘は高校で私立に入れたから、そのときだけ。大学も無料。日本の友人に話すと、まさかって言うけど、本当なのよ。大金持ちにとっては税金高くて住みにくいかもしれないけど、あたしたちは安心して働ける、安心して暮らせる。

時代的にも恵まれていたのね。日本からの旅行客がわんさか訪れ、景気よく買い物する、そんな時代に入ったの。亭主は亭主で、小さいながら彼の好きなメンズファッションを日本に紹介する会社を作って独立。あたしも声を掛けられて、日本人観光客相手の免税品店を共同経営することになったのよ。

服飾、アクセサリー小物、バッグや靴の革製品、化粧品から文房具、時計、コニャックやチョコレートにいたるまで、一流品を集めるとおもしろいほど棚から消えていく。カイコ、繭から絹を作るカイコ、あれが桑の葉を食べるときさくっさくって端から綺麗に食べていくでしょ。あんな感じ。

忙しかった。仕入れにいろんな会社をまわって、旅行社にはツアの客をまわしてもらうようセールスに行って。‥‥ワインをひと口含むと、マダムは遠くを眺めるようにつづける。‥‥でも楽しかった。免税店ってね、船着き場なのよ。

さまざまなお客さんが日本から流れ着く。もちろんフランスみやげを求めにくるひとがほとんどだけど、それだけじゃない。‥‥急に熱が出たり、事故に遭ったり、掏摸〔すり〕に財布やパスポートを盗られたひとも飛び込んでくるし、レストランやキャバレの予約を取ってくれとか、気軽に話せる日本人だから、いろいろ声を掛けられる。

旅の恥はかき捨てとばかりパリで羽根を伸ばしたいのもいれば、訳ありのお忍びもある。政治家も小説家も芸能人も、どこかで見たことあるなと思えばスポーツ選手だったり、ヤクザの親分もいたわ、妙に神妙な顔してね。

おもしろかった。‥‥バリと間違えたのがきっかけだったけれど、結果は上々。ありがとう、パリね。

‥‥シャンソン愛好会発表会の本番。聞いているこちらがはらはらする。しかしマダムは、低く渋いニュアンスのある声でクロード・ヌガロのジャジーな唄を最後まで歌い通した。落ち着いていて上出来だった。

マダムは決して上がり性なんかじゃない。‥‥ただ練習が足りないだけ、練習が嫌いなだけ。同じことの繰り返しなんかやってらんない、を実践しているだけなんだな‥‥多分、間違いなく。ほっと拍手しながら、そう感じていた。