黒革のカード入れを差し出され「ムッシュー、これ落としましたよ」、若い女性がふたり、にっこり笑いかける。間違いなく自分のものだから「メルシー」と受け取り、メトロに飛び乗る。
メトロに飛び乗り、落ち着いたところで肩から提げたバッグを見ると、見事にファスナーが開いている。ここからカード入れは落ちたのか。‥‥いやいやそんなわけはない。いくら昼行灯でもそれくらいは分かる。その道のプロの手口であることくらい‥‥。
カード入れにはパスポートのコピー、滞在許可証と保険証の現物が入っていた。これらの現物、失くしたら蒼ざめながら役所を駆けずりまわらねばならぬ。その手間と面倒を考えただけで気絶しそうなほど、「助かったなあ」というのが偽らぬ実感、その道のプロにとってはハイリスクの余計な代物でしかなかったのだろう。
現金や銀行のカードは別にしていて、換金性の高いものの入っていなかったのが幸いした。せっかくファスナーを開き咄嗟にカード入れを手にしたものの、価値なしと判断するやただちに捨てたのか。‥‥バッグに手を突っ込まれ搔き回された後味の悪さはさておき、瞬間的な判断力には感心する。
いや、待てよ。ただちに捨てたはずのものが、どうしてこんなに早く、何事もなかったかのように所有者に戻ってきたのだ。盗られたことさえ気づかずにいたのに。笑顔のかわいかった女性ふたり、一部始終を目撃していて、犯人の捨てたものを拾って戻してくれたのだろうか。
いいや、それは出来過ぎている。
メトロの乗り換え駅で入ってくる電車に気を取られ、バッグに注意のまわらなかった一瞬の出来事だった。飲んだ帰りで気の緩みのあったことも認める。終電車に近く、ホームに乗客は多かったという悪条件も重なった。
しかしそれでも、ふたりの女性がカード入れを差し出してくれた背後を通り抜けていった若い男が、一瞬鋭い視線をこちらに投げかけていったのを怪訝に感じたことを思い出す。
‥‥少なくとも、この3人はチームだった可能性が高い。
素早く盗んだ男は、それを手早く女たちに渡す。アシのつかぬよう、掏摸#スリ#はグループ化、集団化して役割分担しているのが普通だ。ブツを咄嗟に吟味し、面倒事に巻き込まれそうだと判断すれば、満面、親切そうな笑みを浮かべて持ち主に返還する‥‥。
身分証明書をなくしたと大騒ぎされて警察が介入、彼らにとってかけがえのない「漁場」を荒らされるより、持ち主に返しおとなしくしていてもらった方がいいというわけだろう‥‥。
単なる臆測ではない。実は先週も、別のメトロ乗り換え駅でプロの集団に遭っているのだ。
このときは昼過ぎの時間帯で家人と一緒だった。降りる客が多く、空席の目立つ車内にゆっくり座ろうと乗り込むと、客席から立ってきたふたりの10歳前後の少年がポールに腕を絡ませ、奥へと入り込むのをなんとなく妨害している感じ。
すばやく小さな女の子ふたりの手が、バッグに伸びてくるのが視界をかすった。「あぶない、掏摸だ」思わず日本語、大声で家人に叫ぶと、すぐ横に立っていた13~14歳とおぼしき少女が、スリという日本語に耳ざとく反応した。
リーダーなのだろう、彼女が合図すると子どもたちは一斉に両手を挙げる。「スリ、危険。調べてみて」、多分ブロークンの英語でこのように話しかけてきたのだと思う。
注意を払いながら何も盗られていないことを確かめ、ひと駅区間ではあるけれど2対5、子どもグループ対初老夫婦の緊張感漂う睨み合いはつづき、次の駅で彼らは一斉に降りていった。
これが話題のルーマニアの子どもたちなのか、と納得すると同時に掏摸という日本語をすでに学習していることにも驚いた。騒がれるリスクを避け、無理をせずに撤退する作法の鮮やかさにも‥‥。
世界中からひとが集まる。ビジネスチャンスを求め、圧政から逃れ、生きる場を探し、食うために、稼ぐために。学び、働き、遊び、味わい、刺激を求めて。世界一の集客を誇る観光都市には、世界中からそれ目当てに掏摸、泥棒もまた集まってくる。
どこなら安全で誰だから怪しいとは言えない。いつでもどこでも誰でも‥‥。二回とも最初はごく普通のフランス人に見えた。あとで思えばカード入れを差し出してくれた女性のフランス語はあやしげなものだったし、子どもたちのリーダーの発した言葉は耳にしたことのないものだった。
フランス語を母語にしていない人びととかろうじて分かる程度で、厳密にはなにも分からない。ルーマニアというのも誤解かもしれない、ルーマニアの子どもたちという言い方が一般的になっているから咄嗟に感じ、使ったに過ぎない。
伊達に洗練された怪盗リュパンとは大きく違う。パリは泥棒、いかれポンチ、ならずもの、‥‥レオ・フェレのシャンソン「パリ・カナイユ」の世界。どうしようもないクズ、ちんぴら、油断も隙もあったもんじゃない。
この野郎、こんちくしょう、バカにしやがって‥‥憤り、いきり立ち、怒鳴りつけ‥‥それでもひと嵐吹き過ぎれば、どこか憎みきれない、腹立たしくも笑ってしまう、やられたなと呆れ返りながら、この経験を誰かに喋りたくなってくる‥‥。
かくして日ごと夜ごと、掏摸世界選手権、どろぼうオープンがパリの街では開かれているのだ。
どこかの邸宅、豪華ホテルの一室でなされているのだろう、国際的詐欺と陰謀の駆け引きとはまったく異なるスケール、別の次元で。