ラジオで育った少年は、一時期永六輔の声を聞かぬ日はないくらいだった。詩人、放送作家、エッセイスト、民俗学者であり社会運動家の一面もあった氏から学んだことは多い。
これをホントの耳学問と呼ぶのかどうかは知らないけれど、耳から入り込んできた言葉は、目にした光景や読んだ文章とは別種の刺激と記憶を形作るように思う。
戦争とは詮ずるところ「別れ」なんです。
耳にした瞬間、釈然としないと感じたことさえ鮮やかに覚えている。生意気盛りの少年は、戦争という巨大な国家間の問題を、どこか人間の情緒にまとめこまれたような、小粒な現象にはぐらかされたような違和感を抱いたのだった。何十年前になるだろう。
‥‥このことを、ふと思い出したのはパリ東駅を歩いているときだった。第一次大戦、第二次大戦、ドイツとの前線に送り込まれる兵士たちは、ここから列車に乗った。レジスタンスに身を投じた者たちや、ユダヤ人が収容所へ運び去られたのもこの駅からだった。
パリからアルザス、ロレーヌ、ライン川からドイツへ。東方に向かう列車の始発駅には、重い歴史が刻み込まれている。そんな想いで歩いていると、かつてのパリにとどまらぬ「東駅と戦場」が脳裏を次つぎよぎっていく‥‥。
沖縄、広島、長崎、空襲におびやかされたすべての地、大日本帝国の蹂躙したアジア近隣諸国。欧米帝国主義とアジア、アフリカの旧植民地諸国。いまだ軍事大国の意向にもてあそばれている諸国、諸地域。そこへの出撃拠点となる地、発進地となる港、基地のある町。
ときとところを越えて、あらゆるとき、いたるところに東駅と戦場はあったし、今もある。‥‥戦争は終わっていない。現在、このひとときもつづいている。いや、つづけている。
永六輔の言っていたことを本当に理解出来たと感じたのは、そこまで想いがいたったときだった。
民衆にとって、戦争の本質とはまさしく「別れ」なのだ。共に暮らしていた者たち、これから共に生きていこうとする人びとが容赦なく引き裂かれ、引き剝がされる。理不尽に、兇暴に、呆気なく。
想いも願いも根こそぎ。いとも簡単な、絶対的な別れのシステム。あくまで無造作に無意味に無頓着になされる「別れ」こそ戦争なのだ。
出発まぎわの遠距離列車に飛び乗る人びと、到着した列車からスーツケースを引っ張りながら降り立つ人びと。いくつにも別れたレールがここで途切れる終着駅には、独特の表情がある。いつ眺めても劇的で、印象的だ。
これまた何十年前になるだろう、なかにし礼の詩でヒットした曲「別れの朝」が、これまた不意に頭の中に流れ出す。
別れの朝、ふたりは冷めた紅茶飲み干し、‥‥当時の演歌や歌謡曲の歌詞とひと味もふた味も違うのは「紅茶」という小道具の斬新さもさることながら、別れを客観視する視点で歌い始められるところにある。
さよならの口づけを笑いながら交わしたふたりは、かけがえのない存在だと互いを見なし合い、決して別れを望んでいるわけではない。そのくせ不条理な「別れ」を、運命的なものと受け容れてもいる。男は汽車の窓から身を乗り出しちぎれるほど手を振り、女は去りゆく男の目をじっと見ている‥‥。
もちろん歌手の曲解釈、個性、表現力に負うところは大きい。前野曜子の歌は、耳から入り込むと脳内に共鳴し、大きなシーンを目の前に映し出す。‥‥そして、このふたりはどうして「別れ」を余儀なくされたのか、との問いをもたらす。
ステレオタイプな湿っぽい情緒とは無縁の、むしろ渇き錆びた声で歌いこまれた悲哀は毅然としている。深い想いを示しながら、凛と撥ねつけてもいる。
どういう状況を歌ったものなのか‥‥。明示されてはいない。ミステリアスでさえある。この詩の世界の背景を流れる物語に、飢えを覚える。‥‥だからずっと気になっていた。
なかにし礼の詩創りの巧みさなのだろう。‥‥彼の意図した本当のところは知らない、だからまったくの誤解、とんでもない勘違いなのかもしれない。いやいやさまざまな解釈と物語を聞き手が一人ひとりつむぎ出すなら、詩人として本望なのかもしれないとも思う。
ずっと気になっていた聞き手として、だからひとつの視点を加えてみよう。‥‥東駅を通り抜けたとき頭の中を流れてきた以上、ふたりの「別れ」の背景に、戦争の影を感じ取っていたと‥‥。
召集令状を受け取ったのか、レジスタンスに参加するためなのか、迫害を避けるためか、こまかな事情までは分からない。極端な話、占領軍の兵士と占領された土地の者にだって愛は生まれうる。このカップルの成り立ちにまで入り込むことは到底出来ない。‥‥男は戦いのために汽車に乗る。女はここに残ることを受けとめる。そのこと以外は。
数知れぬ出会いが、別れに取ってかわられる。戦争というシステム。永六輔のことばを、いつの間にか耳許に聞いている‥‥。
パリ東駅。出会いと別れの歴史を抱え、無数の列車が東方を目指して旅立っていく。