母の日によせて

週に一度、日曜日にはマルシェへ買い出しに行く。

ショッピングカートを引いて、家人ともども片言のフランス語で身振り手振り食材を求める。それだけの価値はある。なにせ農業国フランスの醍醐味がここには集約されているのだ。

いつものように研究熱心なノルマンディのお百姓、品質の高い魚介類を鮮やかな手さばきで処理するご夫妻の店、自家製バターが美味いチーズ屋さんとまわり、その日は、食料品店と並んで特に花屋の店先が賑やかなことに気がついた。

贈り物用のブーケが飛ぶように売れている。小さな子どもを待たせて若いパパが花束を吟味している。恰幅のいい、ということはお腹の突き出たオヤジさんが、薔薇の花の色を見比べては首をかしげている。ニキビ面の兄さんは包装と花の量のバランスにこだわっているようだ。

小さな眼鏡を鼻にのせたムッシュが鉢植えを手に、店員の言うことにいちいち頷いている。オートバイのヘルメットを抱えた青年は、注文しておいたブーケを満足そうに眺めている。

‥‥そうか、母の日だったと気がついた。フランスの母の日は5月最終日曜、老いも若きも眉目秀麗なのも目つきの悪いのも、颯爽と白いシャツの眩しいのも杖をよろよろついているのも、およそ息子と呼ばれる種族、すなわち男たちが母に捧げる花を手にしている。

誰にでも母はいる。当たり前の事実に気付かされ、臆面もない愛情表現に感心すると同時に愉快な気分になる。いい歳をしてマザコンじゃないの、と冷笑を浮かべるような文化はどこか病んでいるのだ。もちろん病んでいるとしか言いようのない親子関係の多々あることも事実ではあるけれど。

くすぐったいような懐かしいような照れくさいような感覚にとらわれる。

歩きまわるさきざきで、休憩を兼ねて教会を利用させてもらう。そこには必ず聖母子像やピエタのマリアがあって、素朴なものであればそれはそれなりに、洗練されたものならそれはまたそれで、ともかく言いようのない感動がこみあげてくる。

日干しのシシャモみたいなのが交叉した木に引っかかっているのとは対照的だ。いい加減慣れてしまうと飽きる、悪趣味だと思い始める、信仰と無縁な者はやがて不感性になる。

厳しい環境の砂漠に生まれた、冷酷なまでに厳格な父なる神との契約などという教えが、緑多い豊かな風土に根づくはずもない。母なるマリアへの想いと姿を変えたからこそ受容されるに至ったのだ。花を手にする男たちに共感しながら、素朴に理解できる。

歳を取ってヤキがまわったからではない、歳を取ったから素直に口に出来るようになっただけの話だ。‥‥数あるマリア像は世の息子たちが、かけがえのない母なるものを想い、懸命に形象化したものなのだ。

20代に母を亡くし何十年も経過したとはいえ、追憶の対象である母を恋うる気持ちに変わりはない。

母は個別的であると同時に普遍的でもある。眼の前にいようがいまいが生死を分けようが、血のつながりがあろうがなかろうが、およそ子として母を想わぬ者はいない。

それを花束という小道具ひとつで、これほど素直に包み隠さず表現している人びとに、やられたなと感じる。

「わたしたちも、ブーケを買って帰ろうよ」と家人が言う。そうだった、娘たる者たちにとっても母は母であった。花束を手にしている9割は男性だから、ついつい息子の視線でだけ考えてしまっていたかもしれない。それとも花を買うのは男たちの役割というような不文律でもあるのだろうか。

どうせ買うなら、道の脇に立って花束を売っている母子から買ってやろう。常設の店ではなくマルシェで売る権利も持たず、いわば臨時、もぐりの商人。零細な業者が賑やかなマルシェに参入したのか、生産者が直接小遣い稼ぎに入り込んでいるのか。

二つのバケツにぎっしり入っているのはいずれも牡丹の花束。昨晩家族総出で花束にまとめたものに違いない。5~6歳の女の子が番をして、母親が両手にひとつずつ手にして通行人に呼びかけている。

どこかオリエンタルな風貌を宿した母子は、この街で根を張ろうと懸命なのではないかと、勝手に想像する。実際、パリには祖国を追われた者、故国を脱け出さざるを得なかった者が数知れず暮らしている。事情は分からぬながら、判官びいき。お互いに片言、手振り身振りでバケツの中から、鮮やかな色彩のものを選ばせてもらう。

不思議なもので、花束は持っているだけで気持ちがやわらぐ。5月の末の母の日に贈る花にとりわけ約束はない。ただ、フランスではちょうどこの頃に咲く、華やかな牡丹のブーケは好まれると後で知った。

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