「パリ燃ゆ」の大きさ:読書漂流

行きつ戻りつ、ときに抱え込みときに放り出し、ちびちびと読み進め最終ページまでどうにか目を通し終えた。これからも、折に触れてあちらこちらと読み直すことになるだろう。

パリ・コミューヌに焦点を当てた、大佛次郎の「パリ燃ゆ」はそれだけのスケールを持っている。

ユーラシア大陸の尽きた東の海に浮かぶ島国が、国際社会に登場したばかりの1870年、西洋列強は直接的に相互のぶつかり合う、戦争の時代に突入した。その嚆矢#こうし#となったのは普仏戦争だ。

稀代の鉄血宰相ビスマルクが鍛え上げ、権謀術数の限りを尽くして準備万端ととのえた新興プロシアとはいえ、産業革命を遂げ、武器も兵隊も近代化されていたフランス帝国は、まぎれもなく大国だった。

にもかかわらず、7月15日に宣戦を決定したものの動員は混乱をきわめ、国境近くでまさかまさかの敗戦、9月2日に皇帝ナポレオン3世はあっさり捕虜となり、あえなく帝国は瓦解する。あまりに呆気ない。

さまざまな原因と要素は考えられる。しかし、直接的にはナポレオン軍の将軍のうち、皇帝に見切りをつけた者がそのまま兵力の温存を図り、本気でプロシアとは戦う気のなかった事実は大きい。

帝国が倒れ、94日の民衆蜂起で成立した国防政府も、その多数派は、かつての皇帝の尻拭いをどうして俺たちがしなくちゃならないの、ここは丸く収めたいねというのが本音の連中。いかに弁舌巧みであろうと。

あくまでプロシアと戦おうとする勢力より、いちおう戦うフリをしながら、ビスマルクと早いとこ手打ちしようとする(言いなりになろうとする)勢力が主流となる。

老獪なビスマルクは一方で交渉を重ねながら、政府内の混乱を横目に着実に進軍し、遂には首都パリを完全包囲下に置く。

民衆の抗戦意識の高さに応えて戦う格好だけはつけながら、陰ではビスマルクと密談を交わし、休戦協定。パリ包囲のつづく中、言い換えれば敵軍に見守られる形で選挙の実施というのも、不思議な展開だ。

ともかく選挙結果を受け、オルレアン王家(七月王政)ルイ・フィリップの許で宰相を務めたこともある古狸、ティエールを首班とした政権が成立。厭戦気分みなぎるブルジョワと地方農民層に支持され、プロシアとの和平交渉、講和条約を急ぐ運びとなる。

生きのいい自国民よりビスマルクを頼る手合いが大手を振るう。この戦争、最初から敗北を期待する者たちが指揮を取っているかのように奇妙なのだ。

アルザス、ロレーヌ地方の割譲はじめ、プロシア軍のパリ入城、多額の賠償金など屈辱的な内容は、いまだ戦意の衰えぬ都市の民衆、とりわけパリの民衆のとても納得できる代物ではない。

武装解除を急ぐティエール政権に対して立ち上がった民衆に、旗色の悪さを察するや、政権はただちにヴェルサイユへ退く。この逃げ足の早さは見事。ここにパリ・コミューヌ(自治共同体)の成立が宣言され、選挙が実施されることになる。

職業、思想から生まれ育ちにいたるまで、様々な人びとによって構成された、近代史上はじめて、民衆による民衆のための政権。それは婦人参政権の実施ひとつとっても意義深い。‥‥大革命から80年あまり、紆余曲折を経ながら民衆はここまできた。

しかし、それにしても、あまりに唐突で、準備不足だった。‥‥複雑な力関係のもと、経験不足の素人たちは有効な手立ての打てぬまま論議に明け暮れるしかない。

中立を建て前にプロシア軍はいまだ包囲を解かず、地方との連絡を絶たれて孤立化したパリ。皇帝を見捨て戦わずに捕虜となっていた「精鋭」職業軍人たちが解き放たれ、一般大衆の支配する首府から逃げ出したヴェルサイユのブルジョワ政権のもとに戻されたとき、何が起こったか。

あくまでプロシアと戦い抜こうとする者たちに乗っ取られた首府パリを奪い返す。‥‥下層民に傷つけられた誇りの疼き、やましさの裏返しの憎悪、そしてなにより恐怖。

あれほど誇示していた権威を示す余裕もなければ、圧倒的な武力と力量に安心することもできない。支配層は被支配層を見下している分、恐れおののいている。支配の芯にある怯えが隠しようもなく露わになる。

パリは、かつて見たことのない民衆惨劇、容赦ない虐殺と殺戮の舞台となった。街角に死体は投げ出され、公園は死体置き場に。パリ・コミューヌは1871年の春72日間で終わりを告げる。

‥‥無謀な試みと承知のうえで、この大部の書を構成する背骨をスケッチしてみた。歴史小説とは違う、研究書とも論文とも異なる。当事者たちはもちろん同時代の証言と資料を集めて丹念に読み込み、事実関係を洗い出しながら組み立てていく探求の書と呼ぶのがもっともふさわしく思われる。

1960年代初頭の「朝日ジャーナル」「世界」に連載、発表されたものをまとめたものだという。これだけ濃厚にして広い問題を受けとめ支えた当時の雑誌読者に敬意を覚えるとともに、「鞍馬天狗」で一世を風靡した多才な作家、大佛次郎はどういう問題意識を持ってコミューヌに取り組んだのか気になるところだ。

バリケードの上で斃れる老指揮者シャルル・ドレクリューズの最期の記述から始まり、生涯の大半を囚われの身として送る革命家オーギュスト・ブランキの記述で終わる本書は、誠実に闘いの日々を送った人びとへの共感と、素朴な郷土愛から立ち上がり次第に変身していく民衆に対するあたたかな眼差しに満ちている。

われらが偉大なる文豪ヴィクトル・ユゴーが折に触れて顔を出し、息苦しい事態の推移のうち、政治的には道化役を演じる部分など笑みを誘う。

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