Y本氏の場合:パリの日本人

考えてもみなかったフランスへ、フランスへ。‥‥引き寄せられるように遂には住みつくことになった、振り返ってみるとそんな人生ですね。

‥‥一言ひとことゆっくり話すと穏やかに笑った。格闘技の猛者とか武道家とかいう言葉の与える印象からは、はるかに遠い。身だしなみのいい、お洒落な老紳士だ。

女の子ばかりのきょうだいに、たったひとり生まれた男の子でしてね、ままごとばかりさせてるわけにはいかない、親父とお袋はそう考えたんでしょうね、近くの柔道の道場に通わされました。

1940年生まれですから、戦後間もなくですね柔道との出会いは。生まれ育ったのが東京の講道館近くだったせいもあるんでしょう、柔道が盛んな地でね、ごく自然なことでした。

当時は町の道場がいくつもあって、餅つき大会やなんかするものだから、仲間とわいわいやるのが楽しくてね。ごく自然に柔道に親しむようになりました、これが後にフランスに吹き流されるきっかけになるとはね‥‥。

‥‥「ご本人は考えもしなかったわけですか」と問うと、考えるも何も中学を卒業するまで、フランスのフの字もない生活でしたよ。フランスとの出会いは高校に入ってからです。

入学したW学院は当時第二外国語まで必修で、それでクラス分けをしていましてね。入学試験の点数順に希望の言葉を選べる。柔道に熱中した挙げ句のギリギリ入学だったから、志望も何もなく、フランス語クラスしか、もう空きがなかった。

だから、これも決して自分で選んだわけじゃない。フランス語クラスしかなかったんですね。そして、はじめてフランス語の手ほどきを受けることになったのが窪田般彌先生だったんです。この出会いが大きかった‥‥。

‥‥思いがけぬビッグネームの登場に驚く。「翻訳されたものではずいぶんお世話になっています。カサノヴァとか」と言うと、当時はまだ若くてそんな仕事はなさっていなかったでしょう。

意欲的な教師で、教科書なんか使わなかったですね。いきなり「プティ・プランス」(星の王子さま)の原書です。原書を読み進めながら、文法事項から語彙まで教えて行く。

‥‥その授業がともかくおもしろくてね、夢中になりました。夢中になるうちにシャンソン、映画といつしか当たり前のようにフランス文化の渦中にいる。

夢中になりやすいタイプなのかな、柔道とフランス文化に明け暮れる、そんな日々でした‥‥。そして大学を卒業しようという時に話が舞い込んでくるんです。

フランスで柔道を教えてみないか、と。

戦前からフランスで柔道は知られていました。あの画家のフジタ、彼なんかも結構強くて、オペラ座で柔道のデモンストレーションをやって話題になったくらいですから。

しかし、一般的なものとなって本格的なブームになるのは1964年の東京オリンピックで公式種目として採用されると決まったあたりからじゃないですか。ちょうど、その波に乗ったことになりますね。

フランス柔道ナショナル・チームのコーチに迎えられたのがオリンピックの前年、1963年でした。

‥‥「文字通り、フランスに呼ばれることになったんですね」。Y本氏の話を耳にしていると、そう相槌を打たずにいられない。門外漢に格闘技の論評は無理だけれど、氏がきわめてナチュラルに生きていらしたことは分かる。

特に気負いもなく柔道を始め、偶然の運びでフランス語と文化に出会い、それらを自然に受けとめる。自然に受け止めてきた集大成のようにパリの暮らしを楽しんでおられる。

いやあ柔道だけで食えたわけじゃない。仕事面でも日本とフランスを行ったり来たり。悩みましたよ、最終的にパリにやってきたときには。Y本家唯一の男子ですからね。しかし、子どもたちは皆こちらで生活しているし、フランス人の細君も行ったり来たりに疲れ切っていましたから。これも流れなんだろう、とね。

1964年の東京オリンピックでのオランダのヘーシンク。一緒に合宿したこともあるので知っていますが、もう抜群の身体能力で誰が見ても頭ひとつ飛び出した能力の持ち主でした。

無差別級、つまり事実上柔道の頂点を意味するわけですけれど、あっさり彼はここで金メダルを獲得することになります。決勝であたった日本の選手を抑え込みで一本でした。

柔道がはじめて公式種目となった、その日本の大会で金メダル。これは大事件でした。一本と審判が表示した途端、カメラマンはじめマスコミやら関係者たちがその場に駆け上がろうとしたんです。

そのとき、ヘーシンクはさっと片手をあげてみんなを制するんですよ。「ここで騒ぐな」というわけです。‥‥感動しましたね、これなんです、柔道の精神は。

互いを尊重する、互いに敬意を表し認め合う。これに尽きるんです。この精神があるからこそ試合になる、闘い合うことができる。敗者を晒し者にするわけにはいかない。自分が立ち上がり、相手が立ち上がる前にカメラを制する。ああ、ちゃんと柔道はヨーロッパに根付いているんだ、と感じました。

子どもの頃から自然に入り込んでいた世界が普遍的な価値の上にある、と確信できた瞬間でもあったのだろう。その意味でヘーシンクの金メダルは、柔道にかかわってきた者すべてがその価値を分かち合える機会になったのかもしれない。

あれから半世紀以上の歳月が経っているんですね、静かにこう言うと、Y本氏は静かにワイングラスを傾けた。

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